2008/7/11
女子4×400 mR五輪出場決定
期限より5日も早い発表に選手たちの反応は…


 女子4×400 mRの北京五輪出場決定の報は、唐突にもたらされた。今朝、国際陸連から日本陸連にメール連絡があったという。リレー種目の記録有効期限は7月16日だが、どうしてこの時期に決定したのか。
「我々も驚いている。競技会スケジュールに、(期限内に)適応するものがないからだと解釈している」と澤木専務理事。
 代表選手は日本選手権の1〜4位と南部記念の1〜4位が、順位の入れ替えはあるものの同じ顔ぶれ。出場権を取れた場合はその4人を選ぶと、南部記念終了時に決定されていた。
 川本和久氏(日本チームコーチ、福島大&ナチュリル監督)に連絡が行った後の経緯を、川本監督と各選手のコメントで紹介すると以下のようになる。

川本和久監督
「今日は福島県のメインイベントである福島県選手権が行われていて、丹野は100 mに出ていて予選を軽く行って11秒91で走っていました。青木は卒論のためのビデオ撮りをしていました。全員に一緒に言った方がいいと判断して、久保倉と木田もあづま(競技場)に呼びました。12:30には正式に話して良いと言われていて、競技場の外に4人を集めて『(オリンピック出場が)決まったよ』と話しました。でも、喜ばないんですよ。ピンと来ないみたいで。間をおいてから『ホントですか』という反応で。東京で会見があることを伝えて、90分後の新幹線に乗るから家に帰って準備をするようにと」

久保倉里美(新潟アルビレックスRC)
「今日は練習が休みで、車でその辺をぶらぶらしていました。先生から会って話したいことがあるからと電話があって、最初思い浮かんだのはオリンピックがダメになったということでした。それを覚悟して行きましたが、実際に言われたときは自分のことじゃないみたいでした。今まで、そのことばかり気になって夜も眠れない日々が続いていました。それが実際に言われると、その瞬間は喜びというよりも、あれ? という感じでした」

丹野麻美(ナチュリル)
「福島県選手権の100 mに出場していて、準決勝の招集が終わってスパイクを履いたとき、先生から『準決勝走るか?』と言われたんです。私、ケガをしていないのに走っちゃいけないのかな、と思いました。(決勝は走れないことがわかり)先生は準決勝を走っても良いと言ってくれましたが、決勝に行きたい高校生もいましたから、出ないほうがいいのかな、と。先生は詳しいことは後から言うから、としか言われないので、4人が揃うまで先生の近くをうろうろしていました。4人ということでマイルのことだとは思いましたが、発表は16日ということだったので、行けないことが正式に決まったのかと思っていました。出られると聞いたときは、きっと嘘だろうと軽く考えてしまって。本当だとわかったときはすごく嬉しかったですね。最初は嬉しいというよりビックリして。リアクションができませんでした。しばらくして、実感がすごく湧いてきました。90分後の新幹線に乗るために自宅に車で引き返すとき、音楽をかけて、歌を歌いながら帰りました」

木田真有(ナチュリル)
「明日の試合に備えて、午後から練習する予定でした。話があるからあづま(競技場)で練習をするように先生から電話で言われて、私、何か悪いことでもしたのかな、と思って行きました。最初は私だけ呼ばれたと思っていたんですが、3人呼ばれているということで、遅れている久保倉を待つ間になんだろうと2人(丹野、青木)と話していました。最初は信じられないというか、****じゃないかと。良かったとみんなで言い合って、家に向かう車のなかではきっとニコニコしていたと思います」

青木沙弥佳(福島大)
「卒論のためにビデオ撮影をしていましたが、先生から電話があって今すぐ来るようにと言われて、行くと丹野さんがいらして、木田さんと久保倉さんも来ると聞いて、マイルのことと関係しているのかな、と。まさか決定したとは思わず、え? という感じでした。後から徐々に喜びが湧いてきて、私も帰りの車でうきうきしていたと思います。駅まで行くタクシーの中で、陸上の青木さんですかと運転手さんに話しかけられて、『オリンピック、決まるといいですね』と言われて、決まったと言いたかったんですが言えないので、『たぶん大丈夫です』と答えていました」


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