2007/11/23 国際千葉駅伝
アンカー赤羽がデレバを逆転
男女混成レース初回は日本が快勝
「チームJAPANとしてまとまれば、オリンピックや世界選手権にもつなげていける」(河野監督)

 今年から男女混合駅伝となった国際千葉駅伝は、日本が最終6区でケニアを逆転。記念すべき初回レースを飾った。

 マラソン世界歴代2位のデレバを、アンカーで逆転した赤羽有紀子(ホクレン)の健闘が光った。22分39秒で区間賞。11月4日のニューヨークシティー・マラソンに出場したデレバが完調ではなかったが、今の赤羽は本当に強い。6区は従来のコースと同じだが、昨年区間賞のコノワロハ(ロシア)と比較しても3秒しか違わない。
 名前負けを感じなかったか? という質問に「距離が短いのでそれほど感じないで走れました。11月3日の東日本実業団女子駅伝は11.1kmを3分07秒で押して行けたので、今日の距離には自信がありました。勝てるんじゃないかな、と思っていました」と、自信を持ってレースに臨んだことを明かした。上り下りの激しいコースだが、3分05秒で押して行けたという。

 ビッグネームの外国人選手を逆転し、優勝テープを切った。普通で考えれば赤羽がヒロインだが、今大会は全員が健闘といえる走りだった。
 1区(5km)の上野裕一郎(中大)は区間2位だったが、相手が1万m26分49秒20のマサイ(ケニア)だったことを考えると、7秒差の区間2位は大健闘といえるだろう。
 2区(5km)の福士加代子(ワコール)は世界選手権は左ひざの故障を押して出場。10月頭から練習を再開し、今大会が復帰レース。区間賞こそリード(英)に譲ったが、区間2位の好走でケニアを3秒差まで追い込んだ。自身の状態を冷静に判断し、最初から突っ込んだ走りをしなかったのが成功した。
 4区(5km)の絹川愛(仙台育英高)は16分03秒で区間1位。ケニアを17秒追い上げ、36秒差として5区にタスキを渡した。世界選手権14位の実績はあるものの、高校駅伝のスケジュールもあるなかでこの成績は、やはり大健闘。
 そして5区(10km)の竹澤健介(早大)も28分49秒で区間1位。トップを行くケニアのビレチが区間2位で29分21秒。1人で32秒も差を縮めたことになる。最初の5kmを14分09秒と速い入りで射程圏にとらえ、最後は4秒差でタスキをリレーして逆転のお膳立てをした。
 全員がヒーロー、ヒロインといえる大会だったように思う。

 日本チームの河野匡監督は次のように総括した。
「竹澤がよく詰めたと思う。今の赤羽なら20秒差でも逆転できたでしょう。今日の記録が良いのか悪いのか、基準がないのでわからない。2時間5分台は(同じ42.195kmで行われる)男子の高校駅伝と同じレベルだし、この大会なら昨年の千葉県選抜(男子)が2時間7分台だったので、それより速かった。上野君が(学生選抜だった)昨年から、来年は日本チームにと積極的に気持ちを出してくれたのはありがたかった。長距離もチームJAPANとしてまとまれば、オリンピックや世界選手権にもつなげていける。そして女子の高校生から男子の学生選手、そしてお母さん選手へタスキが渡り、イベントとしては非常に良かったのではないか。駅伝を世界選手権の種目に入れる話もあるが、そういう意味でも良いアピールになったと思う」
 ともすると、焦点が定まらなくなりがちの混成チームによる駅伝だが、今大会は大きな成果があった大会だった。

日本チーム6選手コメント
1区(5km)上野裕一郎(中大)
区間2位・13分29秒
「とにかくケニアの26分台選手をマークしましたが、中間走は向こうが上でした。僕の足りないところを勉強させてもらったことと、昨年よりも3秒速く走れたことが収穫です」
2区(5km)福士加代子(ワコール)
区間2位・15分34秒
「獲物を見つけた感じで、ひたすら追いかけました。区間賞は取れませんでしたが、駅伝のイメージはできました。私のなかでは、良いイメージができましたね」
3区(10km)野口憲司(四国電力)
区間4位・29分22秒
「ケニアが強かったです。自分の力不足を痛感しました。このままでは終われないです。もっと強くなって帰ってきたい」
4区(5km)絹川愛(仙台育英高)
区間1位・16分03秒
「大きな駅伝は1年間やっていなかったので、感覚が鈍くなっていたんですが、距離を走るにつれて感覚が戻ってきて、前を追い込めたので良いレースだったと思います」
5区(10km)竹澤健介(早大)
区間1位・28分49秒
「前が見えてすごく走りやすい位置でした。もう少し頑張れば追いつけたんですが、そこが僕と渡辺(康幸)監督の違い。こういうレースになったのは(今の)自分の力です」
6区(7.195km)赤羽有紀子(ホクレン)
区間1位・22分39秒
「竹澤君がすごく良い位置で持ってきてくれたので、あとは自分の走りをしようと思いました。応援がすごく多くて、本当に励みになりました」



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