2007/1/28 大阪国際女子マラソン
レース後の共同会見
1位・2時間23分48秒
原 裕美子(京セラ)

「渋井さんのペースが落ちたので、思いきって出ました」
Q.レースを振り返っての感想を。
原 こうしてまた、スタートラインに立てたことを感謝したいと思います。また、12月の全日本実業団対抗女子駅伝で大ブレーキをして(3区区間19位・33分56秒)、チームに大変な迷惑をかけてしまいましたが、その名誉挽回を今回、結果を出すことですることができました。お世話になった方たちに、感謝の気持ちも表したかった。それらが実現できて良かったと思います。
Q.29km過ぎのスパートのタイミングは、狙っていた?
原 監督との打ち合わせでは30kmまで出ないで行くはずでしたが、大阪城に入ったときから、渋井(陽子・三井住友海上)さんのペースが落ちていました。調子が悪かったのか、疲れなのか、風が強かったからなのか、わかりませんが。29kmのあの通りに入って大きくペースが落ちていたので、これなら出た方が良いという考えが頭の隅によぎりました。迷っているヒマはないと、思いきって出ました。
Q.2人で走って行くなかで、どんな位置取りをしたいと考えていましたか。
原 とにかく渋井さんにピタッと付いて、付いていることでプレッシャーをかけるのが作戦でした。どんなにペースが上がっても、必ずピタッと付いて走ることを意識していました。風もとても強かったので、自分の力を無駄に使わないように心掛けました。

「今回は(距離走を)自分1人で走って、記録も今まで以上のもので行けた」
Q.今回初めて自分で押していく練習をしたということですが、どういうメニューをこなして、どんな手応えだったのですか。
原 名古屋と世界選手権前はほとんど、チームメイトにペースを作ってもらって走りましたが、今回は自分1人で走って、記録も今まで以上のもので行けたことが自信になりました。
Q.今日の風はどのあたりがきつかったですか。
原 35kmを過ぎてからずっときつかったですね。下りが下りに感じなくて、早く向かい風が終わらないかな、とばかり考えていました。
Q.名古屋では37kmくらいでスパートされました。10km以上を1人で行くのは初めての経験ですが、不安はなかったですか。実際に走ってみて、きつさは?
原 もう、いつ後ろから抜かされるのかと、ずっと怖かった。沿道のコーチから、第2中継車が来てるぞ、と言われてものすごく怖かった。
Q.サングラスをとらずにフィニッシュしたのは?
原 また、テレビの前の人たちに迷惑をかけたらいけないと思って。Tシャツは寒かったので脱ぎませんでした。
Q.どのあたりで逃げ切ったと確信しましたか。
原 トラックに入ってからですね。残り150mくらいです。
Q.テレビの優勝者インタビューではしきりに感謝の言葉を口にしていましたが。
原 この大会のために1カ月にわたって合宿をさせてくれた会社と、その間、私と坂田の2人だけのために一生懸命に指導してくれた監督に、(特に)感謝をしたかったんです。本当にお世話になりました。

「駅伝失敗の後も、世界選手権に出るんだという気持ちは切らさなかった」
Q.競技をやめたいと思ったのはどのくらいの時期で、(やめなかった理由の1つの)まだ目標を達成していないというのは、具体的にどんな目標ですか。
原 (世界選手権の後)ケガが治って走り始めたら、またケガをして、それを繰り返していた時期です。ケガをするたびに「あぁー」というか、「またケガだぁ」というか。そういったときにやめたいと思っていました。やめなかったのは、今の自分は1人だけでここまで来たんじゃない、という思いがあったからです。支えてくれた人たちのことを考えると、やめられませんでした。最終目標はオリンピックのマラソンでメダルを取ることです。
Q.支えになった言葉とか、本や映画はありますか。
原 嫌になったときはあまり陸上のことは考えないようにしました。テレビやDVDを見たりして。兄姉(きょうだい)に愚痴を言って気持ちを切り換えました。
Q.全日本実業団対抗女子駅伝の失敗のあと、どうやって気持ちを大阪に切り換えましたか。
原 あれは本当に思いもしなかった走りで、今までで一番悪い走りでした。そこから気持ちを切り換えられたのは、ケガをしている間からずっと、大阪の世界選手権に出るんだという気持ちは変えなかったから。今日、結果を出さないと、それもダメになってしまいます。そして、これ以上チームにも会社にも迷惑はかけられないという思いがあったから。苦しいときもそういった目標があったから走れたのだと思います。とにかく、恩返しがしたかった。


女子マラソン2006-07
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