2007/1/2 箱根駅伝往路
1区・佐藤が区間新
区間2位に4分01秒の大差
従来の“2位とのタイム差記録”(1分31秒)を大幅に更新
1区で佐藤悠基(東海大)が区間2位につけた4分01秒差は、1区が現行コースとなった1972年以降では過去最大だった。
「最低でも30秒は差をつけたいと思っていましたが、ここまで速く入るつもりはありませんでした。走り出したら調子が良かったので、ガンガン行きました。13km付近から痙攣が出て、六郷橋の上りできつくなって止まりかけましたが、最後は気合で走りました。残り7kmは不安がありましたが、僕がいい流れを作らないといけなかったので、頑張りました」
佐藤によれば、痙攣は前回の箱根駅伝でも出ていたという。痙攣を起こしながらも、ここまでハイレベルの走りを維持できたのはなぜか。そこに、佐藤ならでは能力があるのだが、その点は陸マガ2月号の記事に書く予定なので、そちらを購読してほしい。
1区が現行コースとなった1972年以降の区間1・2位タイム差
※太字は区間新
年 区間1位選手 所属 学年 区間1位タイム 区間2位タイム 1・2位差 1972 鞍馬講二 大東大 1 1:06:36 1:06:49 0:00:13 1973 松田 進 東洋大 2 1:05:22 1:06:53 0:01:31 1974 宮田将美 東海大 2 1:06:40 1:06:49 0:00:09 1975 片山 茂 筑波大 1:05:26 1:06:38 0:01:12 1976 和田誠一 日体大 4 1:05:38 1:06:04 0:00:26 1977 石井隆士 日体大 4 1:04:09 1:05:31 0:01:22 1978 西 弘美 日大 4 1:03:42 1:04:28 0:00:46 1979 照井典勝 日体大 4 1:05:18 1:05:40 0:00:22 1980 石川海次 早大 4 1:06:04 1:06:16 0:00:12 1981 三橋 稔 東農大 4 1:05:04 1:05:26 0:00:22 1982 吉田富男 順大 4 1:04:30 1:05:16 0:00:46 1983 佐藤和也 東洋大 4 1:03:30 1:04:33 0:01:03 1984 植松 誠 日体大 4 1:04:11 1:04:34 0:00:23 1985 仲西 浩 日体大 2 1:04:29 1:04:53 0:00:24 1986 岡部邦彦 東農大 4 1:04:07 1:04:19 0:00:12 1987 池田克美 早大 4 1:05:18 1:05:36 0:00:18 1988 実井謙二郎 大東大 1 1:03:59 1:04:15 0:00:16 1989 三浦武彦 順大 4 1:05:40 1:05:46 0:00:06 1990 谷川義秀 日大 2 1:04:38 1:04:59 0:00:21 1991 武井隆次 早大 1 1:03:26 1:03:49 0:00:23 1992 武井隆次 早大 2 1:03:22 1:04:09 0:00:47 1993 櫛部静二 早大 3 1:02:09 1:02:54 0:00:45 1994 渡辺康幸 早大 2 1:01:13 1:01:40 0:00:27 1995 中村祐二 山梨学大 2 1:01:32 1:02:56 0:01:24 1996 ビズネ 亜大 3 1:03:26 1:03:32 0:00:06 1997 梅木蔵雄 早大 3 1:04:57 1:04:59 0:00:02 1998 湯浅龍雄 専大 4 1:02:46 1:02:58 0:00:12 1999 東 勝博 拓大 4 1:04:01 1:04:04 0:00:03 2000 徳本一善 法大 2 1:02:39 1:03:44 0:01:05 2001 野村佳史 中大 2 1:03:38 1:03:38 0:00:00 2002 入船満 順大 4 1:04:21 1:04:22 0:00:01 2003 内田直将 駒大 3 1:04:36 1:04:48 0:00:12 2004 鷲見知彦 日体大 1 1:02:51 1:02:57 0:00:06 2005 丸山敬三 東海大 3 1:02:52 1:03:00 0:00:08 2006 木原真佐人 中央学大 1 1:03:42 1:03:44 0:00:02 2007 佐藤悠基 東海大 2 1:01:06 1:05:07 0:04:01
表からわかるように、2番目に大きな差は1973年の1分31秒。2番目は95年の1分24秒。ここ10年では、2000年の徳本一善(法大)が2位につけた1分05秒が最大だった。それを考えると、今回の佐藤の4分01秒がいかにすごい記録なのかがわかる。
その一方で、2位記録も過去と比較したとき、1時間5分台は1989年以来のこと。過去18年間で最低レベルだったのだ。
本人にとっては予想外の大差だったが、佐藤が飛び出したとき、2位以下が牽制し合うことは、東海大陣営は計算していたこと。区間新を出した佐藤の快走と、東海大の戦略が効果を発揮したことで生じた“史上最大の大差”だった。
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