2005/11/20 東京国際女子マラソン
高橋尚子、レース後の会見

「坂の前から仕掛けて、坂に挑んでみたい気持ちがありました」

Q.最初の5kmは17分00秒。スタートから序盤は慎重な走りだったのでは?
高橋 今回はケガもあったし、2年前のこともあったので、慎重に走っていくことを心掛けました。落ち着いて、浮き足だった走りをしないように。とにかくタイムよりも勝負と、頭に置いて走りました。
Q.そのときに痛みは?
高橋 まったくないと言ったらウソになりますが、やると決めた以上、ゴールするつもりで、さほど気にしていませんでした。
Q.スパートするタイミングは、レース前に決めていたのか、レース中に展開を考えて決めたのか。
高橋 レース前にはまったく考えていません。レースの中で何kmにしようと決めました。ずっとスローペースでしたから、行きたい気持ちもありましたが、我慢我慢の連続でした。いつもボルダーでラスト10kmで行く練習と、8kmで行く練習の2通りをしていたんです。それがあったので、(走りながら)残り8kmならたどりつけるかな、と判断しました。
Q.ラスト10kmにしなかったのは?
高橋 残り10kmも考えましたが、8kmからなら絶対にたどりつける自信が大きかったんです。
Q.距離を踏むにつれてフォームがよくなったように見えましたが。
高橋
 フォームのことは自分ではよくわかりませんが、練習の方がきついと思えるくらいに楽に走っていました。なぜ、2年前はあんなにきつかったのだろうと思っていました。
Q.スパートは四谷の坂に入ってからではなく、その前にと決めていた?
高橋 一番遅くて坂を上りきってから、という考えもありましたが、(2年前にアレムに逆転された)あの坂に挑んでみたい、坂の前から仕掛けてみたい気持ちがありました。自分の思い出との戦いでしたね。
Q.今日、着けていたネックレスはどういう意味で、いつからしていますか。
高橋 常時着け始めたのは、ファイテンと契約した6月1日からですが、このバージョンのネックレスは、特別なもので***から。一番軽くて走っていても気にならず、今回、チーム全員がお揃いで着けています。
Q.アレム選手が気になりましたか。
高橋 気になるというより、前で引っ張ってもらってありがたかったというか、申し訳なかったというか。感謝しながら走っていました。
Q.スパートする練習は東京を想定してのものですか。
高橋 アメリカではいつもしていることで、特別、今回を考えてのものではありません。
Q.記録に関してはまったく考えていなかった?
高橋 途中、3分30秒ペースになったときは、ゆっくりだな、スローだなと思っていましたが、今回は勝つことやタイムを考えて練習したのでなく、ここで42.195kmをちゃんと走ることだけを考えていました。そうして、テレビや沿道で応援してくれる人たちに、夢を持つことが大事だと伝えたかったんです。一度は陸上競技をあきらめかけた自分が、また夢を持ったことで輝くことができた。今、暗闇にいる人に、メッセンジャーになるんだと、レース中に思い出して走っていました。

「(直前に故障があっても)優勝をあきらめたり、レースをやめるつもりはまったくありませんでした」
Q.肉離れは走っている最中に、突然来ることもあるケガ。走っているときに不安はありませんでしたか。
高橋 不安はありました。先週は木、金、土、日と1本も走らず、ベッドに横になっていました。月曜日に初めて30分ジョッグをして。それでレースに出たのは初めてです。だからといって優勝をあきらめたり、レースをやめるつもりはまったくありませんでした。出るか出ないか、ゼロか100の選択をした時点で、不安を持っていても仕方ないと。突っ走るだけだと思いました。
Q.レース中も不安はなかった?
高橋 持って、持って、脚、持って、という気持ちだけでした。
Q.スパートは35km過ぎでしたが、優勝できると感じたのはどこですか。
高橋 アレムさんも楽そうでしたから、どうかな、と思っていました。ただ、行くときは自分から仕掛けたいと。行けるという気持ちではなく、応援してくれている方や、チームのメンバーの思いを考えたら、勝つぞという気持ちにしかなれませんでした。
Q.アレム選手が35km以降は向かい風がきつかったと言っていましたが、高橋選手は40kmまでを17分09秒で走っていますが。
高橋 自分も時計を見て、遅いと思いました。意外に遅いぞ、と。でも、風が気になったというより、このまま逃げさせて、という思いが強かったです。
Q.今、脚の状態はどうですか。
高橋 まったく痛みがない状態ではありませんが、最後まで持ってくれてよかったと思います。

「(ケガをしたことを公表したのは)チームみんなで話し合って出場を決めた経緯を、皆さんにも知ってもらいたかった」
Q.レース序盤では完走できるかどうか不安がありましたか。また、あったとしたら、その不安がなくなったのはどこですか。
高橋 完走をする、しないとか、途中でやめるとかは、全然考えていませんでした。優勝をするつもりで走っていました。ケガをしたことを会見で発表することで、ライバルたちに弱みを見せることになる。それが良いのか悪いのかわかりませんが、チームみんなで話し合って出場を決めた経緯を、こういう考えで決断をしたんだということを、皆さんにも知ってもらいたかったんです。
Q.医者からは痛みが出たらやめるように言われていたのですから、その不安があったのでは?
高橋 そのときは途中でやめるように言われていましたが、それでも、やめようというよりも、“持って”という願いが強く、やめることは1回も考えませんでした。
Q.2年ぶりのマラソン出場ですが、眠られましたか。また、この結果でアジア大会の候補になりましたが、アジア大会出場はどう考えていますか。
高橋 昨日も一昨日も、ぐっすり眠られました。ただ、今朝は3時に目が覚めてしまったんです。そうしたら、ドアの下にチームのメンバーからの手紙が置いてあって、それを読んで感動していました。でも、20分したら、また眠っていました。今回がまずは全てでしたから今後のことは、みんなの元に戻って一から考えていきます。次の試合は全然、考えていません。

「今はどういう記録が出せるか、手探り状態で、未知のところを歩いています。それがちゃんと形になり、残せたことが嬉しい」
Q.2年前、今日のようなレースができていれば、という思いはありますか。
高橋 なんで、あんなにきつかったんだろう、と走っていて思いました。前回の方が練習もでき、体調も良かった。走りながら不思議に思いましたね。この2年間、陸上で成績を残すことができませんでした。でも、その2年間で、支えてくれた人の温かさ、人と関わり合える嬉しさを感じることができました。あー、嬉しいな、楽しいな、と思うことが多かった。今日、何が幸せかといったら、陸上だけでなく、生きることの幸せを感じています。苦しいこともありましたが、今はオセロ・ゲームのように黒かったことも、白く思うことができるようになっています。
Q.一昨日の会見でケガをしたことを明らかにしたことによって、安心できたり、リラックスできたという効果は、あったのですか。
高橋 普段と変わらない生活でした。言った、言わないで変化はありません。(出場を)決めた経緯を、ウソをつかずに発表しようという思いだけでした。レースへの色味や変化はありませんでしたね。
Q.今まで優勝は、小出監督の指導の下で出した結果でした。今回の優勝は高橋さんにとって、どんな意味合いがあるのでしょう。
高橋 今までは小出監督に全てを任せ、それについて行くだけでした。今回は若いチームが、色々考えながら練習をやることができました。毎日ワイワイ、笑いの絶えない日々でしたが、1人1人が仕事に誇りを持って、全力で取り組んだ結果です。いいチーム、いい人に巡り会えたなと思います。小出監督の下にいたときは、これで23分が出せる、24分が出せると言われたら、そうなんだと信じてやってきた。今はどういう記録が出せるか、手探り状態で、未知のところを歩いています。それがちゃんと形になり、残せたことが嬉しいです。
Q.今後の大きな目標は? 自己記録とかオリンピックとか。
高橋 すべて、この試合が終わってからと思っていました。ようやく、次の扉をあけたところで、パッとは浮かびません。でも、4年契約を結んでいますし、プロとして、3年後の大きな試合を頭に入れ、今回をステップに目指していきます。
Q.玉手箱に入っていたものは何でしたか?
高橋 今回は“絆”ですかね。絆を確認できました。みんなで力を合わせることができたと実感しています。


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