2005/3/13 名古屋国際女子マラソン
3位の江田も世界選手権代表に
レース後のコメント

「これまでの選手を見て、やめ方が大事だと感じていました」
「磯端監督には、1回もやらされていると思ったことはありません」
「28歳でマラソンが伸びたのは練習の組み合わせと、気持ち的に落ち着いたこと」


●名古屋を最後のレースとした理由は?
「このレースを最後にするつもりでしたが、2時間26分は切りたいと思っていました。これまで29分台がベストでしたから、引っかかれば出せるのではないかと。マラソンをやるからには、目標がないと。(引退は)結婚したことや家庭が理由ではありません。競技をもう、満喫したかなと感じたから。ただ、ここ1〜2年は故障があってマラソンに出られなかったり、ヤマダ電機への移籍もあって、やめられませんでした。(今回は条件が整ったので)最後にしっかり走ろうと。終わりよければ、ではありませんが、これまでの選手を見させてもらって、やめ方が大事だと感じていました」

江田のマラソン全成績
回数 月 日 大会名 成績 記 録
1 1998 9.20 ベルリン 8 2.36.55.
2 1999 11.21 東京 15 2.39.17.
3 2000 11.19 東京 13 2.33.18.
4 2002 1.27 大阪 6 2.29.20.
5 2004 1.25 大阪 6 2.31.18.
6 2005 3.13 名古屋 3 2.24.54.

●28歳まで続けてこられたのは?
「今28歳ですが、ここまでマラソンを続けられたのは、最初のベルリンがすごく楽しかったから。コース自体も雰囲気も、すごく走りやすかった。じゃあ次のマラソンも、と思ったのですが、東京で2回続けて失敗してしまいました。ベルリンが良かったのは、気持ち的に楽に臨めたのかもしれません。東京シティー(ハーフマラソン)で走れて、たまたま派遣されることになったので、気負いもなかったのだと思います」
「磯端監督が、ガチガチやらせるやり方でなかったのも、ここまでやってこられた理由です。練習メニューはある程度は作られますが、あとは自分で考えてやれ、と。1回もやらされていると思ったことはありません。何かあれば、相談にも乗ってくれますし。本当に1回も、(嫌だから)やめたいと思ったことはありませんでした」
●マラソンの記録が伸びたのは?
「練習量が飛躍的に増えたわけではありません。経験から、ある程度のレベルで維持することはできるようになるんです。ここはやるところ、ここは休むところ、というのがわかってきて、上手く組み合わせて行けるようになりました。気持ち的にも落ち着いてきましたね。以前は色々と、惑わされたり、イライラすることも多かったのですけど。よく、マラソンは27、28、29歳くらいが一番いい、と言われます。体は疲れやすくなるのになんでだろう、と思っていましたが、こういうことなんだと理解できました」
「トラックのベストは、5000mは3年くらい前に走った15分50秒台(01年の15分57秒64)、1万mもその頃で32分29秒(01年の32分29秒79)。マラソンは、トラックでは勝てない人にも勝つことができる。そういったところも魅力ですね」


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