2005/10/25 国体3日目
沢野が5m60、19年ぶりに大会記録を更新
安田、船津の30歳代コンビがシーズンベストで2、3位

 成年男子棒高跳の沢野大地(千葉・NISHI A.C.)は、対抗得点のことも考え5m30から跳び始めた。この高さを1回目にクリアしたが、5m40は一度、助走を始めたがすぐに止まり、仕切り直したが失敗した。
「最初の一歩で両脚のふくらはぎがつってしまって、もう1回無理やり行ったのですがダメでした。少し時間を空けるためにパスをして、5m45にしたんです」
 跳躍順が沢野より後の安田覚(三重・桑名工高教)が5m40を2回目にクリア。沢野をリードした形となったが、沢野は5m45を1回で成功。安田は5m50を3回失敗し、沢野の優勝が決まった。
「30では一番軟らかい(硬度の小さい)ポールを使ったら軟らかく感じて、40のときから変えました。45を跳んだときの反発はまあまあだったので、そのまま60も行きました。動きは、最後6歩を合わせることと、突っ込みの時のインパクトを意識しました」

 5m45で優勝を決めた後、5m60に挑戦したのは「最低でも大会記録は更新しておかないと」という気持ちがあったからだ。大会記録は19年前の1986年、山梨国体で橋岡利行がマークした5m55。当時は日本新記録だった。この5m60も1回でクリア。
「60ではまた反発を感じなかったので、ポールを(さらに硬いものに)換えて5m70に行きました。1回目は行ったかな、と思ったのですが、甘かったですね」
 2回目、3回目はそれほど体も上がらず、沢野の今季最終戦は5m60の平凡な記録となった。
 沢野自身、「シーズン後半に満足できる記録を跳んでいないから」と、国体への意気込みを話していた。決して、納得がいっているわけではない。しかし、5m60はトップ選手が揃ってプレッシャーのかかる試合や、世界選手権のように気象的に恵まれない試合では、世界の強豪選手といえども落としてしまう高さ。今大会の条件が悪かったとは思えないが、5m60が平凡と思えてしまうのは、沢野への期待が大きいからに他ならない。

 2位には安田が5m40で、3位には船津哲史(大阪・住吉一中教)が5m15で食い込んだ。2人ともシーズンベスト・タイ記録で、ともに30歳代の教員選手。
 安田は今年の日本選手権優勝者でベスト記録は5m50。なかなか自己記録を更新できないが、日本選手権も今大会も5m40と安定度は高い。今年7月で30歳となったが、初めて5m40を跳んだ97年以降、昨年を除きずっと5m40以上をクリアしている。その間、2000年の日本選手権ではポールが肛門に刺さってしまう大事故も経験したが、棒高跳への情熱が衰えた感じはまったくない。今大会でも、試技終了後に後輩選手に対し何事か、熱心にアドバイスをしていた。

 3位の船津は92年の宮崎インターハイ優勝者。そのときの記録は5m15と、橋岡の高校記録5m20に迫った。その年の秋に同学年の横山学が5m21の高校新と記録面で一歩リードしたが、筑波大1年時の93年に船津は5m35と抜け出した。これは99年に沢野が更新するまでジュニア日本記録で、現在もジュニア日本歴代2位というハイレベルの記録だった。
 しかし、その後は記録を伸ばせていない。横山の方が2度の日本記録更新、シドニー五輪代表と、脚光を浴びる機会は多かった。3回日本記録を更新した小林史明も同学年。
 船津のその後を詳しく振り返るデータはないが、97年からの年次別ベストは5m20・5m20・5m25・5m10・5m20・5m20・5m10・5m05。昨年、ちょっと落ち込んだが、今季は5m15と立て直した。この10月で31歳となった。
「中学では生活指導もやっていますから、練習は週に3日間とれるかどうか。生徒の練習も見ていますから、自分の練習は“一撃必殺”のものになっています。でも、このところ助走が安定してきました。ちゃんと地面をとらえられる走りができるようになってきましたね。来年くらいには自己記録も更新したい。ベテランになったら、棒高跳がより面白く感じるようになりました」
 両ベテランの来年以降の動向に、注意を払わないといけないだろう。


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