2005/12/18 全日本実業団対抗女子駅伝
三井住友海上が最多タイの5回目V
渋井は全レースで3区の重責を果たし
初5区の大平は“5つめ”の区間
ワコールと並んで最多となる、5回目の優勝を飾った三井住友海上。その全てのレースに出場したのが渋井陽子と大平美樹の2人である。2人の出場区間と区間順位、タスキを受けたときと渡したときの順位、チームの順位を一覧表にまとめてみた。
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渋井陽子 |
大平美樹 |
チーム |
年 |
区間 |
順位 |
中継順位 |
区間 |
順位 |
中継順位 |
順位 |
1997 |
3区 |
11位 |
4位→6位 |
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5位 |
1998 |
1区 |
5位 |
→5位 |
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21位 |
1999 |
3区 |
24位 |
14位→17位 |
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|
18位 |
2000 |
3区 |
1位 |
2位→1位 |
4区 |
5位 |
1位→1位 |
1位 |
2001 |
3区 |
2位 |
4位→1位 |
6区 |
9位 |
1位→1位 |
1位 |
2002 |
3区 |
5位 |
8位→5位 |
2区 |
1位 |
16位→8位 |
2位 |
2003 |
3区 |
7位 |
2位→2位 |
2区 |
2位 |
1位→2位 |
1位 |
2004 |
3区 |
4位 |
1位→1位 |
1区 |
4位 |
→4位 |
1位 |
2005 |
3区 |
4位 |
2位→3位 |
5区 |
2位 |
1位→1位 |
1位 |
渋井はまさに、エースとしての走りを続けてきた。
三井住友海上がトップに定着したのは、土佐礼子の入社(1999年)と渋井の成長(2000年)があったから。鈴木秀夫監督はそれまでチーム全体を平均的に強くしようという考え方だったが、この頃から若干の方針変更をし、核となる2人の強化に重点を置き始めた。その2人が強くなることで、チーム全体も好循環になっていったという。
初優勝の2000年に渋井は区間賞、翌年は区間2位で、ともにトップに立つ快走を演じた。文字通り、チームを牽引する存在だったのだ。02年以降、区間順位は4位以下に落ちているが、台頭した福士加代子(ワコール)や外国人選手とつぶし合うのが3区という区間。そこで必ず上位に進出したり、上位をキープする。選手層の厚いチームは、エースがエース区間でしっかり走れば、つなぎの区間で他チームを圧倒できる。三井住友海上の2区や4区の選手が区間賞を取ったりトップに立てるのは、3区の渋井がきっちり走っているからに他ならない。
対する大平美樹は、今回の5区出場で5つの区間を走ったことになる。
当初は典型的なバイプレイヤーだった。元々、1500mが中心の選手だったこともあり、起用区間は4区・6区・2区・2区と短い距離。そこで必ず1〜2位をキープした。前の区間までに、チームメイトが上位を確保し、その位置を守るのが役目だった。区間賞を獲得した2002年だけが、1区で橋本歩が16位と出遅れたこともあり、唯一8人抜きとごぼう抜きを見せた。
昨年1万mで31分台に入り、初めて1区と(俗に言う)ポイント区間に起用された。そして今回は1万mでさらに記録を伸ばし、松山商高の先輩でもある土佐の故障もあって、初めて10km以上の区間である5区に。福士には36秒敗れたが、区間2位でトップを快走した。土佐の最高記録の37分35秒を上回る36分49秒で走破した(チーム最高は36分30秒=坂下奈穂美)。
渋井は5回の優勝全てにエースとしての走りをし続け、その間にマラソンと1万mで日本記録を更新した。大平はつなぎの区間からスタートし、中距離から長距離に進出して、エース区間を任されるようになった。
タイプの違う2人の走りが噛み合って、三井住友海上は勝ち続けている。
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