2005/12/4 福岡国際マラソン
バラノフスキーの強さは耐寒能力+スピード
「福岡で成功できなかったら、1500mに戻るつもりでいた」


 寒さに適応したマラソンランナー。2時間08分29秒で優勝したバラノフスキー(ウクライナ)は、その点が強調されて報道された。が、本当にその部分だけが特徴なのだろうか?

 スタート時の気温は8.9℃で西北西の風6.2mという気象条件。序盤は強風がペースメイクも難しくさせた。中盤からはさらに気温が下がり、寒さが選手たちの動きを鈍くした。さらに、みぞれ模様になってきた。フィニッシュ後の選手の顔を見ると、真っ赤に腫れ上がっていた選手も何人か見られたほどだ。その悪条件を「自分には味方した」と言い切れたバラノフスキーの耐寒能力は、疑うべくもない。
「今日のような天気は大好きです。逆に、暑いと血圧が上がり、気分が悪くなる。アテネ五輪では暑さで完走できなかった。外を歩くのも嫌だった」

 確かに、寒さに強いのは大きな特徴だった。しかし、走りを見ていて気づいたのは、そのダイナミックなフォーム。腕を大きく振り、大きなストライドで跳ぶように走る。トラックで鍛えたスピードランナーだと推測できた。
「今回、マラソンで成功しなかったら、1500mに戻ろうと思っていた」
 レース後にポーランド人のエージェントが、そう話していたという情報を入手したので、バラノフスキー本人に確認したところ、本当にそう考えていたという。

1500m:3分39秒71(2003年)
3000m:7分51秒*(2003年)
5000m:13分38秒*(2004年)
1万m:29分12秒*(2001年)
マラソン:2時間11分57秒(2005年)

 これが、福岡国際マラソン前の各種目のベスト記録。1万mの記録が低いのは、自己ベストを出した01年のレースが最後だから。そのレースはU23ヨーロッパ選手権で、優勝したという。そのときも、今回のような悪条件だった。
 その後は、むしろ距離を短くしていた。

 それがどうして、マラソンに転向することになったのか。
「トラックをやっていた私に、エージェントがマラソン転向を勧めてくれたのがきっかけです。オリンピックにトラックで出るのは厳しいと言って。初マラソンは03年のフランクフルトで2時間12分47秒でしたが、ウクライナ陸連と交渉して、アテネ五輪に出場できることになったのです。ウクライナはそのくらいの記録でも、国内トップレベルでしたから。それに陸上競技を始めた頃から、いつかはマラソンをという希望が心の隅にあったのです。マラソンでテレビに映りたいと思っていました。沿道に応援の人がいて、そういう環境の中で走ることができる。マラソンの雰囲気が好きでした」

 今回は寒さという条件だけでなく、練習方法の変更もプラスになったと言う。
「これまではマラソンに向けて、猛練習を積んでいました。それを今回のトレーニングでは、疲れない程度に、落ち着いたペースで行うことに変えました。最初の2カ月を特に、そうするように意識したんです。レースにも出場しないで、福岡だけに合わせてきました」
 レース前2カ月は高地でのトレーニング。高地に上がる前は月間700〜800km、高地に上がってからは600〜700kmの走行距離だったという。レース20日前に平地にもどって、さらに距離は少なくしたという。

 バラノフスキーが元々持っていた耐寒能力とトラックのスピードに、マラソン向きの練習への変更が加わり、3つの要素がプラスに働いて福岡の快走につながったと言えそうだ。ちなみに今回の2時間08分29秒は、ウクライナ記録(2時間11分07秒=Aleksandr Kuzin、02年)と旧ソ連全体での最高記録(2時間08分53秒=Pavel Loskutov、エストニア、02年)を大きく上回っていた。


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