2005/3/6 びわ湖マラソン
レース後の細川共同会見
「最後までしんどいレースでした」
Q.(質問不詳)
細川 後半が追い風で、びわ湖の向こう側(東岸)では14分40秒台まで上がりました(正確には25kmまでが14分58秒で、30kmまでが14分50秒。手元の時計では14分48〜49秒だったと思われる)。いいペースで走れて、記録も狙えると思ったのですが、ラスト10kmが向かい風が強くて(記録に)影響してしまいました。2時間09分30秒は切れると思って走っていたら、沿道から『危ない』という声もかけられて…。日本人1位は確保しようと頑張りましたが、後ろを見たらそれほど離れていません。最後まで安心できない、しんどいレースでした。
Q.30kmでアームウォーマーを付けたのは?
細川 寒くなってきたと感じました。予報では昨日より温かくなると聞いていましたが、後半にどうなるかわからないと準備していました。初マラソンでは最後、寒気がして、それでスタミナもなくなった感じがしました(東京国際マラソンの記事細川が初マラソン日本歴代8位!参照)。実際、風がきつく、冷たくなってきたので、付けた方がいいと判断しました。
Q.効果はありましたか?
細川 本当に風が強かったので、少し有利になったと思います。プラス効果はありました。
「高地トレーニングの成果が出た」
Q.高地トレーニングはプラスに働いた?
細川 高地トレは大学の頃から、(国内で)何回かやったことがあって、毎回、結果が出ていました。マラソンでは今回が初めてですが、1回帰国して、姫路10マイルに出ていい走りができました(昆明で1月20日から2月6日まで高地トレーニング。2月11日の姫路城ロード10マイルに46秒29の大会新で2位となり、再度2月13日から27日まで昆明でトレーニング)。距離というよりも、高地という点を利用したトレーニングの効果が出たと思います。
Q.世界選手権に向けての抱負は?
細川 この大会に出るにあたって、世界選手権のチャンスはあると思っていました。でも、それは世界選手権切符を取るのが目標でした。これから準備をして、目標を監督と相談して決めていきたい。
「移籍したからにはと、厳しくやって来た」
Q.チームを移ったときに、葛藤などはありましたか。
細川 2002年に移籍したのですが、最初の年は、“移籍したからには結果を出さないと”という覚悟で厳しくやりました。NTT西日本に残って同好会的に走っていた仲間も応援してくれましたし、その人たち自身も頑張っていた。僕も自分に厳しくやってきて、2年経って、今の環境を生かして成果を出せて来つつあります。1万mでも昨年、27分台(27分54秒42)を出せました。
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