2005/10/9 シカゴ・マラソン
6分台を目指した佐藤は自己最低記録
自己分析の結果が出るのはしばらく先?
佐藤敦之(中国電力)が2時間19分44秒と、自己最低記録に終わった(シカゴ出場日本選手+ジェンガのマラソン全戦績参照)。好調が伝えられ、自身も「2時間6分台が目標」と話していただけに、意外な結果だった。
「思ったよりもペースがきつく感じてしまって、最初からいっぱいいっぱいでした。体調はいいのかなと感じていたのに、走ってみたらよくなかった。中間点付近で後れ始めて、自分のペースで行けるところまで行こうと頑張ったのですが、行けずじまいでした」
8月に1週間、風邪のために寝込んだが、坂口泰監督がかねてから考えていた新しい調整法で克服したつもりだった。過去のマラソン練習では、かなりの走り込みをしてもレースでは結局、終盤にスタミナ切れを起こしていた。それは練習でも兆候があり、3週間前の30km走などの最後でガクッとペースが落ちていたのだ。そこで、調整段階の30km走をなくし、代わりにトラックの1万mレースに出場した。9月末の全日本実業団では日本人2位。それも「出し切っていない走り」(坂口監督)だった。
また、かつては「パーツ、パーツの練習をやり過ぎてしまい、マラソン練習として全体がまとまらなかった」(坂口監督)のが佐藤の欠点でもあったが、それはなくなっていた。自身の現状をしっかりと把握できるようになったのだ。だから、同僚の油谷繁や尾方剛が国際舞台で活躍しても、焦って練習をやり過ぎることもなくなった。
しかし、シカゴで結果は出なかった。レース後の佐藤はまだ、原因を分析できず、困惑顔だった。
「これまでは、もう1回練習を組み立て直して、もう1回鍛え上げればなんとかなると思いましたが、今回は何から始めていいのか、現時点ではわかりません。8月に練習ができていればまた、別だったのかもしれませんが。練習の20〜30kmで、速さと距離走をミックスして、マラソンの苦しさを身につけるような練習をやった方がいいのかもしれません」
もう1つ気になっているのは、ニューイヤー駅伝の後、疲れが残るような体調になったこと。びわ湖マラソンで学生最高(2時間09分50秒)、関東インカレ1万m優勝、日本インカレ1万m2位と突っ走った反動が出た大学4年時に似てもいた。だが、今の佐藤は当時と違い、その状態はすぐに克服できる。しっかりと休養し、静岡国際や日本選手権の1万m、ホクレン・ディスタンスチャレンジの5000mと、トラックでは好走している。
「それで、自分でもマラソンを楽しみにしていました。でも、ニューイヤー駅伝を境にどこか、回復してこない部分もありました。(8月に寝込んで)9月に入って練習ができましたが、練習で消耗したところがあったのかもしれません」
色々な可能性を頭の中で検証していたのだろう。取材している側も、明確にこういう状態だったと、はっきりとは認識できなかった。分析の結果が出るまで時間が必要と思われた、レース後の佐藤だった。
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