2004/8/1 2004スプリントチャレンジカップIN山梨
“ミワク”のトリオ
200 mで“最初で最後?”の対決


 今大会の白眉は何と言っても男子200 m。朝原宣治(大阪ガス)、小坂田淳(同)、土江寛裕(富士通)の30歳代トリオが1〜3位を占め、向井裕紀弘(西濃運輸)や吉野達郎(東海大)といった若手ホープを寄せ付けず、アテネ五輪本番に向け好材料を示した。
 この距離で強かったのはさすがに朝原で、50m過ぎから前に出てコーナーを抜けると完全にリードしていた。近年こそ100 mに専念しているが、97年に20秒37(当時の日本歴代2位)を出したときは、日本記録の20秒29(伊東浩司・96年)を更新する勢いだった選手。熾烈な2位争いを繰り広げる30歳コンビをしり目に、32歳が悠々逃げ切った。
 正式計時がすぐにはわからない大会だが「20秒台でしょう。だったらいいです」と、この時期、それほどタイムを気にする必要はない。正式タイムは20秒70(+0.8)と、許容最低ラインよりも0.29秒いいタイムだった。

 2位争いは最後まで大激戦。「直線で逆転しましたが、フィニッシュ前で差し返されたと思います」と小坂田はレース直後に振り返ったが、見た目には判別できないほど。結局、20秒89の同タイムだったが土江が先着していた。土江は昨年出した自己記録に0.03秒と迫る好走。小坂田も95年に出した20秒77に次ぐセカンド記録で、「今日は4×100 mRの1走狙いでした」と冗談も出た。
「3人が一緒に走るのは初めて。最初で最後の対決でしょう」と土江。人間的にも味のある“魅惑のトリオ”の貴重な競演だったのだ。

 3人とも8年前のアトランタ五輪に出場。ベテランと呼ばれる存在だが、今でも思い悩むこともある。朝原は日本選手権の予選で10秒09を出したときは良かったが、決勝では「スタートラインで迷いがあった」という。土江はレース中、「50歩すべてにやることがある。頭が真っ白になったら失敗レース」というタイプだが、それがなかなかできない。小坂田も前半を飛ばすパターンこそ確立していたが、微妙なスピードの調整で悩んでいた時期もあった。
「ある程度練習が積めて、行けるぞというイメージがあれば行けるんですが」と朝原。
 スポーツは体で行うもの。頭であれこれ考えるだけではダメで、体が反応できる状態をつくれるかどうかが、迷うか迷わないかの境目となるということだろう。もちろん、その状態をどんな状況でも作れるのが、ベテランらしさでもある。3人とも最後となる可能性もあるオリンピックを前にした今、“変な迷い”はご免こうむりたいはず。
 競技者の30歳代は、普通の人生であれば不惑といわれる40歳代にも相当する。三十路の“ミ”と不惑の“ワク”で“ミワク”のトリオ。アテネでは悔いの残らない走りをしてほしいと、切に願う次第である。


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