2003/11/16 東京国際女子マラソン
「マラソンの厳しさを思い知らされました」
初マラソン高仲は、後半大幅にペースダウン
「絶対に途中でやめたくなかった」と言う理由は?


 スタート直後、先頭を切る高橋尚子(スカイネットアジア航空)に1人ついたのが、初マラソンの高仲未来恵(京セラ)だった。大会前は、同学年の坂本直子(天満屋)の初マラソン日本最高、2時間21分51秒も目標だったが、「気象条件やコースを考えたら、タイムよりも順位。3位以内に入ることを目標にしました」と、狙いを変更していた。

「前半は1km3分20秒(5km16分40秒)で押していきたいと思っていました。それで高橋さんに付いたのですが、3〜4kmでペースが上がり、そこから一人旅になってしまいました」

 ペースはどんどん落ちていった。
 高橋の作り出したハイペースに付いた最初の5kmは16分24秒、10km通過は33分19秒(5kmは16分55秒)と、当初の目標タイムに落ち着いたが、ペースの漸減はすでに始まっていた。15kmまでの5kmは17分43秒、20kmまでは18分22秒。中間点は1時間13分29秒だった。「後半は、最後の上りでも17分30秒くらいの落ち込みに抑えたかった」という目標タイムを、中盤ですでに下回っていた。
 折り返して25kmまでは前の5kmと同じ18分22秒と踏ん張ったが、30kmまでは19分10秒と踏みとどまれず、30km手前で嶋原清子(資生堂)に抜かれ、日本人2位の座が難しくなった。35kmまでは20分45秒とさらに落ちた。テレビ画面に映し出される姿はまったく力がなく、30.5kmでは吉松久恵(テレビ朝日)にもかわされていく。「ゴールまで来られないんじゃないか」という声も、プレスルームでは挙がっていた。40kmまでは24分08秒も要し、最後の2.195kmは11分03秒。9位でフィニッシュ直後に、救護室に運ばれた。

「前半で行き過ぎたのもあったと思いますし、風も強かったせいもあると思います。後半は脱水症状気味になって、情けないですけど止まりそうになりました。何も考えられなくなってしまって、後ろから来る選手に付くことも考えられなかった。マラソンの厳しさを思い知らされました。
 でも、ゴールだけはしなきゃと思って走りました。せっかくここまで、監督やスタッフ、そして会社の人たちが応援してくれたおかげで、来ることができました。絶対に、途中でやめることはしたくなかった」

 高仲は入社5年目。大森国男監督が埼玉栄高から京セラに転身し、その2年目に「マラソンをやりたい」と言って入ってきた選手だ。京セラが鹿児島から京都に本拠地を移す際にチームが分裂したが、大森監督と行動を共にした。その大森監督はこの日、競技場に姿を見せられなかった。網膜剥離治療の手術をし、快方に向かってはいるが、まだ現場復帰はできていない。現場の状態を報告してもらい、病院から指示を出す状況だという。

「せっかく、5年前からやってきて初マラソンにこぎ着けたのに。監督にとっても、初マラソンだったのです」

 埼玉栄高では空前絶後のインターハイ総合12連覇を達成するなど、全種目を指導した大森監督だが、実業団で世界を目指すには長距離・マラソンに絞った。トラック長距離種目・ハーフマラソン・駅伝で実績を積み上げてきて、6年目でついに初マラソンに挑戦したのが今回だった。

「全日本実業団対抗女子駅伝ではエース区間を走りたい。どこまで体力が戻るかわかりませんが、今回の分も駅伝で頑張りたいです。次のマラソンは、今回いろんな経験をして、勉強をすることがあったので、今後の練習で克服していきたいと思います。マラソンはハーフと違って、勢いだけでは走り切れません」

 昨年1月の宮崎女子ロードでは、ハーフの女王・野口みずき(グローバリー)に10秒と迫る走りを見せ、1時間08分32秒の日本歴代5位。7月の札幌ハーフではデレバ(ケニア)を後半までリードし、坂本直子には42秒先着した。連続出場となった今年10月の世界ハーフも9位と健闘(優勝したラドクリフには約3分離されたが)。

「世界ハーフはあまり調子もよくなかったし、今日より気温も高かった。その中で、集団で走れたことは自信になりました」

 その自信が仇となったかっこうだ。「思い切りだけではダメで、レース運びに慎重さも必要です」と、今後の課題を話した高仲。もちろん、その通りなのだが、ハーフマラソンで実績を重ねてきた成長過程は、野口や坂本とダブル。その2人のマラソンを振り返ると、中盤から終盤で思い切って先頭に出る場面が思い出される。「思い切りだけではダメ」ということは、“思い切りも重要”という意味でもある。展開次第ということになるが、チャンスに恵まれたら、高仲にもそういうレースを期待したい。それができるだけのものはこの5年間で、いや、全国小学生大会で走った10年以上前から今日までで、培われているように思う。


女子マラソン2003-04
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