2004/3/7 びわ湖マラソン
30kmでスパートした無名選手
12年前の有名選手


7位・2時間09分55秒 渡辺真一(山陽特殊製鋼)
 30kmでペースメーカーがいなくなった直後、飛び出したのは渡辺真一(山陽特殊製鋼)だった。意外と言ったら失礼かもしれないが、2時間12分16秒がベストの選手である。
「ペースがちょっと落ちたこともあるのですが、あのまま行けたら行ってしまおう、という狙いでした。でも、思ったより多くついて来て、このままだといいペースメーカーにされてしまう、と判断して下がりました。僕は言ってみれば無名の選手。放っておいといてくれたらよかったのに」
 1kmも行かないうちに渡辺は集団の中に下がり、代わって佐藤敦之(中国電力)がトップに。先頭に出た佐藤は、渡辺のつけた勢いを利用する形でスピードを緩めなかった。さらに33kmで松宮祐行(コニカミノルタ)がスパート。集団が一気に縦長となり、渡辺はつくことができなかった。ペースもどんどん落ちていったが、最後はぎりぎりでサブテンを達成する2時間09分55秒。フィニッシュラインではガッツポーズも出た。
 本人はいつ以来のガッツポーズなのか、覚えていない。
「中3の全日中はガッツポーズをしかけたら、脇の下から石本(文人・横尾中)の顔が出てきたので、できませんでした。100分の2秒差で負けました」
 渡辺のコメントに「無名選手」というくだりがあったが、大阪・長野西中時代は“有名選手”だった。全日中、ジュニアオリンピックと石本に敗れたが、3000mで連続の全国2位。ジュニアオリンピックでは前年までの中学記録も上回った。ところが、清教学園高、立命大では、頑張ってはいたが結果が出ない。1学年弟の浩二のほうが目立つこともあった。ややじり貧ぎみのところで山陽特殊製鋼に入社(最終学年に上向きだったようだが)。実業団で大学までの甘さを痛感させられたのだろう。
「入社1年目に、自分の思い上がりを指導してもらいました」
 その年には初めて1万mで28分台に入ると、表のように2年前のびわ湖で初マラソン。自己ベストは、その初マラソンで出したものだった。その年(02年)のベルリン、翌03年はびわ湖、長野、福岡と出場したが、自己記録を更新できない。6回目の今大会で自己記録の大幅更新した。

渡辺のマラソン全成績
2,002 3.03 びわ湖マラソン 12 2.12.16.
2,002 9.29 ベルリンマラソン 19 2.13.25.
2,003 3.02 びわ湖マラソン 67 2.24.38.
2,003 4.20 長野マラソン 5 2.16.13.
2,003 12.07 福岡国際マラソン 17 2.15.48.

 今大会に出場していた山本泰明もそうだが、中学でトラックのトップクラスだった選手が、長い低迷期を脱してマラソンで復活する例もある。五輪選考会のトップ争いは、久しぶりに経験した緊張感ある場面だったはず。そこで自ら仕掛けることを経験できたことで、一皮剥けていくのではないだろうか。


男子マラソン2003-04
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