2004/3/6 びわ湖マラソン前日
びわ湖をステップにしてきた選手たち
早大OB2選手編
びわ湖で円熟味を見せる武井と、
学生最高が仇となった佐藤
今大会の参加者には、びわ湖マラソンをステップというか、きっかけというか、アクセント、大げさに言えば競技生活の分水嶺にしてきた選手が多い(ニューイヤー駅伝や箱根駅伝との兼ね合いで、この大会に参加しやすいということもあるが)。早大OB2選手をメインに、旭化成勢3人のびわ湖との因縁を紹介する。
●武井隆次(エスビー食品)
5回目のマラソンが2000年びわ湖。初のサブテンとなる2時間09分23秒で3位と好走した。しかし、武井の19秒先にフィニッシュした川嶋伸次(当時旭化成、現東洋大監督)がシドニー五輪代表となった。レース直後は悔しさを感じなかった武井だが、時間の経過とともに、徐々に悔しさが募ってきた。この日(レース前日)の合同取材時にも、次のように話している。
「4年前は、(終わってみたら)目の前にオリンピックがあったわけです。それまでは競技を続けるかどうかで手一杯で、オリンピックまでは見えなかった。でも、その後は4年後には自分が行こうと、初めてオリンピックを意識しました」
2年後の02年びわ湖に2時間08分35秒で優勝し、アジア大会代表に。実に、91年のユニバーシアード以来の日本代表復帰だった。そのユニバーシアードでは1万mで銀メダルを獲得した。そう、武井は高校生初の5000m13分台や、大学2年時(91年)に日本インカレ2冠、箱根駅伝では4年連続区間賞など、ジュニアから大学時代に大活躍した選手。言ってみれば早熟選手だったが、円熟した選手として力を発揮し始めたのが、このびわ湖マラソンというわけである。
●佐藤敦之(中国電力)
4年前のびわ湖で、早大の先輩である武井と終盤まで競り合っていたのが当時早大3年生だった佐藤だ。2時間09分50秒の学生最高記録で4位。坂口泰監督は「佐藤のマラソンは全て失敗だった」と言いながらも、初マラソンだけは例外だったことを認めている。
ところが、その年9月の日本インカレ(1万m2位)までは好調を持続したが、そこから蓄積疲労で走れなくなり、最終学年の箱根駅伝を欠場したことは周知の通り。中国電力入社後に立ち直ったが、1年目の福岡国際マラソンは2時間14分41秒と今ひとつ。3回目が昨年びわ湖で、2時間08分50秒と自己最高をマーク。初マラソンの藤原正和(当時中大、現ホンダ)と清水康次(NTT西日本)に後れをとったとはいえ、世界選手権代表に。昨夏のパリ本番は10位と、はた目には合格点の走りをして、今回が3回目のびわ湖である。
師弟が過去のマラソンを失敗と言い切るのは、終盤で「失速している」(佐藤)から。その原因は、練習のやり方にあった。佐藤自身、次のように言っている。
「どうしても4年前のイメージが強く、理想ばかり求めていました。頑張っていることに、満足していた部分があったと思います。事実と向き合って、目標を飛躍させないことが自分には必要でした。これまでは自分の力を10としたら、目標を20に設定してやっていました。今は自分のできることをやっていこう、少しずつ課題を克服していこうという考え方です」
坂口監督は「それでも世界選手権で10位になっちゃうんですから、力はある」と、その潜在力は認めている。「パーツ、パーツでは、あれだけすごい練習ができてしまうんですから」
初めて“勘違いしない練習”ができたのが、今回の佐藤。3回目のびわ湖で、どんな走りを見せてくれるだろうか。1回目が2.09.50. 2回目が2.08.50. 等差数列なら、3回目は2.07.50.となる。
やや脇道となる話だが、先輩の武井がアジア大会で敗れた李鳳柱(韓国)に、世界選手権では競り勝った。先輩の敵を国際大会でとった格好だが、今回はその先輩に直接勝たないことには道は開けない。
男子マラソン2003-04
寺田的陸上競技WEBトップ