2004/12/27 箱根駅伝展望スペシャル
“駒中”2校の思惑が渦巻いた府中多摩川
対外的な部分を見ていた中大と
内部的な部分を見ていた駒大
戦いの場はちょうど、両校の中間に位置していた。駒大玉川校舎は多摩川の東岸にあるが、府中多摩川マラソンのスタート地点は約13km上流に北上したところにある。一方の中大八王子校舎は多摩川の西側、府中多摩川スタート地点から約10kmの距離。11月23日、両校の主力がスタートラインに着いた。
◆府中多摩川と上尾の違い
11月21日の上尾シティハーフは、優勝した伊達秀晃(東海大1年)の1時間02分08秒(ジュニア日本最高)を筆頭に、1時間2分台が2人、16位までが1時間3分台、76位までが1時間4分台と好タイムが続出。一方の府中多摩川は、優勝の高橋憲昭(中大4年)こそ1時間02分41秒とまずまずのタイムだったが、1時間04分10秒で2位の田中宏樹(駒大4年)以下1時間4分台は5位までと、上尾に比べ著しく少なかった。
一番の違いは出場した有力大学の数。上尾は東海大・日大・早大・明大・中央学大・拓大・亜大・大東大と多く、駒大や中大も主力以外の数人が出場していた。一方の府中は駒大・中大・東農大くらいで、駒大勢が大島合宿直後で記録の出にくい状態だった。
中大・田幸寛史監督は「上尾は前半が涼しかったですし、コース自体平坦で、リズムに乗って押して行きやすい。府中は折り返しが2回あってリズムが取りにくく、今年は暑さもあった。上尾は“速い選手”が記録を出しやすい大会で、府中は力がないと走り切れません」と、両大会の違いを説明してくれた。
かといって、高橋の強さを特にアピールしているわけではない。次のように補足説明というか、釘を刺すことを忘れなかった。
「伊達君が速いだけの選手かといったら、どうでしょう。高橋が上尾に出ていても、伊達君の方が強かったかもしれない。それに、この時期のハーフが、必ずしも箱根の結果に直結しません。箱根はすごく特殊な大会で、力がないと走れないんです」
◆レース展開
100%正確にレースを再現することはできないが、出場した選手たちのレース展開に関するコメントを紹介しよう。
優勝・高橋憲昭(中大4年)
「15kmではもう田中を3秒くらい離していましたが、ここから行こう、とペースを上げました。20kmまでは14分40秒を切っていました。(1分29秒差がついたのは)向こうが疲れていたからでしょう」
3位・井手貴教(駒大3年)
「(高橋・田中の)2人に7〜8kmで置いて行かれて、一時はどんどん離されてしまいましたが、15kmを過ぎて田中さんの背中が大きくなってきて、抜けるかもしれないと、自分もきつかったですけど粘りました。10kmが30分02秒、15kmが45分32秒、20kmが60分57秒の通過でした。20kmまでの5kmは(タイムも5秒速くなっているが)感覚的には上げて行けた走りでした」
5位・山本亮(中大2年)
「スタート直後に転倒してしまって、後ろから追い上げていきました。一瞬、やめるべきかどうするか考えましたが、すぐに大丈夫だと判断し、そのあとは前だけを見て行きました。ずっと1人で走りましたね。後ろの集団に着いても意味はなかったですから。糟谷(悟)さんは10km手前で一気に抜きました。佐藤(慎吾)さんは、12〜13kmで前に出ました。1kmくらいついて来られたと思いますが、気にせず前だけを見て走りました」
9位・佐藤慎吾(駒大3年)
「レースであれだけ悪かったのは、2区で区間9位とブレーキした1年の出雲以来だと思います。中大には負けたくなかったのですが、ボロボロでした。(合宿直後で)動かないとは言われていましたが、最低限のまとめができないといけません」
10位・糟谷悟(駒大3年)
「5kmくらいで先頭集団から離れてしまいました。全然動かなかったので、後半でどれだけ粘れるか、という走りでした。途中まで堺(晃一・駒大1年)と一緒でしたが、いったん引き離されて、残り2kmで慎吾と堺に追いつきました。大島合宿で追い込んだ直後でしたから、動かないのはわかっていましたが、悪すぎました。慎吾を後ろから見ていて、いつもの走り方じゃありませんでしたね。身体が丸まってしまって、久しぶりに見た気がします」
◆府中多摩川の位置づけ
勝つことにこだわったのは中大の方だった。田幸監督は次のように説明する。
「駒大との戦いを箱根まで持ち込みたかったのです。せこいレースでもいいから、駒大に勝ってくれと、あれはもう、選手にお願いをしました。山本には同じ相手(全日本大学駅伝の1区で負けた駒大・佐藤慎吾)に二度負けるなよ、と。内心、勝負がついた状態で箱根のスタートラインに立ったら、そこから逆転するのは難しいですから。スタートする前に、振り出しに戻したかったんです」
一方の駒大。佐藤は「中大に負けたくなかったけど、あのレースは“選考”という意味のレースでした」と言う。大島合宿直後で選手全員のコンディションが良くないなか、どんなレースができるかで箱根のメンバーを決めようという位置づけだったのだろう。大八木監督の説明は次のような感じだった。
「例年より大島合宿からの間隔が短かったのです。去年は13℃だった気温が今年は20℃ちょっと。その辺の差があって動かなかったのですが、それでも若干、悪すぎましたね。しかし、その中でも中堅がよく走ったと思います。田中や佐藤は合宿で頑張りすぎてダメでしたが、井手や柴田(尚輝・4年)がよかった。中大の家高(晋吾・4年)や田村(航・3年)には勝っています」
府中の成績にこだわらず、合宿で追い込んだのが駒大。問題は中大が、どのくらい府中にピークを持っていったのか。田幸監督の弁はこうだ。
「駒大は叩いた練習で府中に臨んだわけですが、ウチも同じように叩いた練習でしたが、気分的なところが違っていたのだと思います」
このコメントをどう取るべきか。なんとも、微妙な言い回しである。
◆府中多摩川の影響は?
意識の奥深い部分ではわからないが、駒大勢に府中ショックはそれほど見られない。佐藤のコメントを紹介しよう。
「あれがホントの走りだったらまずいでしょう。気持ちを締める意味合いがあったと思うんです。大八木さんからは『もっとタフにならないとダメだ』『動けなくても、本当の強さがあれば田中さんくらいは走れる』と言われました。負けたのは確かにくやしいですけど、気にはしていません」
同じ駒大でも井手のように、自信を付けた選手もいる。
「タイムは良くなかったですけど、チーム内で2位という順番がよかったですね。駅伝のメンバーで走ったことがないので、みんなに勝てて、あれが自信になりました。佐藤に勝てたのは、向こうの調子が悪かっただけなんですが」
一方の中大はどうだろう。全日本の失敗を取り返すことが目的だった山本は、次のように話した。
「自分の1区の失敗でチームが勝負できなかった。二度とあんな走りはしたくなかった。そのとき、佐藤さんに1分以上差をつけられましたから、最低限、佐藤さんに勝つことが目標でした。自信というか、(箱根で)戦えることが確認できましたね」
田幸監督の説明である。
「全日本が終わって、やらなきゃいけないことがたくさんあり過ぎたのですが、それが6割で良くなった。全員に勢いがついたわけではありませんが、効果はあったと思います。駒大さんもウチを警戒してくれたようですから、駒大の楽勝ムードは払拭できたかと思います。あとは、選手みんなの意識が高揚していけばいいですね」
対外的な部分を意識して府中に臨んだのが中大、内部的な部分を意識して臨んだのが駒大。どちらも、府中に出たことでプラス面はあったわけである。田幸監督も言っているように、全日本大学駅伝終了時点では完全に駒大一色だったムードが、中大もやれる雰囲気に変わったことを考えれば、中大の方がメリットは大きかったかもしれない。
ただ、重要なのは府中に向かう過程での練習内容だろう。箱根駅伝本番を考えたときにどちらがプラスとなる練習だったか。駒大がより結果の出る練習だったなら(そのためには12月の調整期間も重要になるが)、実は駒大の方がメリットが大きかったのかもしれない。もっとも、中大は府中の4日後に日体大長距離競技会の1万mに出て、そのまま合宿に入っている。練習の流れも、駒大とは違うのだろう。
いずれにせよ、どちらにメリットが大きかったかは、現時点では判断しようがない。箱根駅伝本番の結果で、初めて答えが出る。
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