2003/8/18 世界選手権パリ2003
パリ到着記念エッセイ
“史上最大の○○”
18日に世界選手権取材のため、パリに着きました。フランスの玄関といえばシャルル・ド・ゴール空港。この空港は確か2回目です。93年のシュツットガルト世界選手権のときに一度、トランジットで来た記憶があります。当時はシャルル・ド・ゴール空港でしたが、今はシャルル・ド・フィニッシュ空港ですけど……若干シラクましたでしょうか……こんな文章はミッテランないとか……。
外国では空港に人の名前を付けることがあります。ニューヨークの国際空港がJ・F・ケネディとか。日本では聞いたことがありません、佐藤栄作空港とか。こういうのって、なんて言うんでしたっけ? ヒロイック、ヒロイズム、個人崇拝? ナポレオンがフランス革命の危機をまとめたように、ド・ゴールは第二次世界大戦中にナチス・ドイツに占領されたフランスを、解放しようと頑張った人物です(歴史に“頑張った”はよくないでしょうけど。それに、戦後の大統領として東西冷戦下に独自路線を確立した手腕も評価されているし)。亡命先のイギリスや北アフリカからレジスタンスを呼びかけ、自由フランス軍を創設して(実際は寄せ集め)、連合軍(米英主体)のノルマンディー(北フランス)上陸とパリ進軍に同調し、パリ解放に功績のあった人物です。言ってみれば、ナポレオン以来の英雄なんですね。
さて、本題です。ノルマンディー上陸作戦は“史上最大の作戦”として映画にも描かれているので、知名度は高いと思われます。その“史上最大”という部分と引っかけて、パリ世界選手権の男子100 mは“史上最大の対戦”と言われていました。改めて言うまでもないでしょうけど、ティム・モンゴメリー(米)とモーリス・グリーン(米)の対決のことです(そういえば、第2次大戦中の英国にモンゴメリーというかなり偉い将軍がいましたっけ)。
世界選手権3連勝中でシドニー五輪も金メダル、世界記録を2度更新し、人類初の9秒7台をマークしたグリーン。エドモントン大会銀メダルで、グリーンが持っていた9秒79の世界記録を昨年、9秒78と更新したモンゴメリー。9秒7台同士の選手が同じレースを走ったことは、過去に一度としてないのです。“史上最大の対戦”といって、何もはばかることはないはずでした。
ところが今年は、この2人が絶不調なのです。グリーンは前回優勝者枠で世界選手権に出られるので、全米選手権を欠場。準決勝まで走った200 mも、脚の状態が思わしくなく決勝を棄権しました。7月上旬のローザンヌSGP、パリGL、ローマGLと3戦連続3位。6月にアメリカ国内で9秒94を出していますが、7月のヨーロッパ転戦では10秒11、10秒11、10秒09とタイム的にも底値安定してしまった感じ。
モンゴメリーにとっては名実ともにナンバーワンとなる好機だったわけですが、全米で2位と敗れ、8月5日のストックホルムSGPは6位、同8日のロンドンSGPでは予選落ちと悲惨な状況。大阪GPで勝っているとはいえ、9秒台はなし。
代わって、7月上旬のグランプリでは全米を制したB・ウィリアムズや、D・アリュウ(ナイジェリア)が好調。8月はウィリアムズが調子を落とし、D・チェンバーズ(英)やK・コリンズ(セントキッズ)、老雄のF・フレデリクス(ナミビア)や全米で敗れた選手、米国の200 m代表選手たち100 mで調子を上げています。しかし、安定して9秒台を出せる選手となると皆無。というか今季、公認の9秒台は水戸国際のP・ジョンソン(豪)とグリーン、コリンズの2人だけなのです。
期待されたグリーンとモンゴメリーの2強対決の構図は崩れ、かといってその他に絶対といえる選手もいない。男子100 mでこのような状況は、過去何十年となかったことでしょう。ちょっとさかのぼってみても、グリーン、D・ベイリー(カナダ)、L・クリスティー(英)、C・ルイス(米)とL・バレル(米)。まあB・ジョンソン(カナダ)も大会前に優勝候補に挙げられていたという意味で数えましょう。今のような“誰が勝つかさっぱりわからない”状況は、1970年代以来でしょう。
パリの男子100 mは期待された“史上最大の対戦”ではなく、期せずして“史上最大の混戦”となってしまったのです。それはそれで、とっても面白いと思うのですが。
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