2003/8/27 世界選手権第5日
2年後の銅メダリストA
為末、準決勝でエドモントンに迫るぶっ飛ばしレース
「何もつかめないままシーズンを終わるところでしたが、藁はつかめたと思います」

「色んなレースパターンが考えられたと思います。セオリーだったら、(後半)1人ずつ抜いていく方が確実でしょうけど、どうしても自分のスタイルを貫きたかった。結果よりも、悔いを残さないことを優先しました。(200 mまでは)よかったと思います。エドモントンと遜色ないくらいだったと思います。 ※タッチダウンタイム表参照

  エドモントン決勝   パリ予選   パリ準決勝  
1台目 5秒64      6秒0   5秒8  
2台目 9秒28 3秒64 9秒6 3秒6 9秒4 3秒6
3台目 13秒10 3秒82 13秒4 3秒8 13秒1 3秒7
4台目 16秒88 3秒78 17秒2 3秒8 16秒9 3秒8
5台目 20秒78 3秒90 21秒2 4秒0 20秒9 4秒0
6台目 24秒89 4秒11 25秒4 4秒2 25秒0 4秒1
7台目 28秒96 4秒07 29秒7 4秒3 29秒3 4秒3
8台目 33秒22 4秒26 34秒3 4秒6 33秒7 4秒4
9台目 37秒71 4秒49 38秒9 4秒6 38秒5 4秒8
10台目 42秒41 4秒70 43秒7 4秒8 43秒5 5秒0
フィニッシュ 47秒89 5秒48 49秒45 5秒8 49秒37 5秒9
※パリの予選・準決勝は寺田による計測

 (48秒台が出なかったのは)意固地にスタイルを貫きすぎたからです。あれで戦ってきましたから、愛着があって、手放せないですよね。2001年は8〜9台目までは世界で一番でいられるという、あの気持ちよさを知っていますから。(スタイルを貫くには)完全に力不足ではありましたが。やっぱり、10割で臨まないと勝負にはなりません。
 スイッチは(朝原&為末がヨーロッパ遠征を自己分析参照)入れられたかどうか…。5台目まではと言っていて、その走りが最後にはできた。藁はつかめたと思います。何もつかめないままシーズンを終わるところでしたから、予選で拾われたのはありがたかったですね。結局、予選とタイム的には変わりませんが、この日のためにというか、せめて決勝へという思いで準決勝に臨んで、そこで力は出し切ることができました。

 (失格者が出て準決勝に進出したことは)不思議な気持ちでした。こういうこともあるんだな、って。でも、そういうことのある人間は少ないでしょう。日本の立場で見たら良かったのでしょうけど、アメリカの立場にしてみれば悪いことですし…。
 ほとんど無宗教なんですが、天が味方したとか、そういうこともあるんだなと思いました。(7月に他界した)父親がしっかり走れと言ってくれたような気がします。予選が不甲斐なかったですから、もう1本、しっかり走れと言ってくれたのでしょう。

 (来年は)この3年間の蓄積を、どれだけ形にできるか。なんとなく、こうすればというのは見えてきました。根本は日本人らしく、血へどを吐くようなトレーニングをすること。(レースの走りは)氷山の一角で、ありあまる力がないとできません。元をたどれば、2000年に戻るのかもしれません。春先までは技術よりも、根本の***を造ります。どれだけ大きい氷山をつくれるか、が勝負です。
 アメリカには冬の間に行くかもしれませんが、どっぶりつかるとダメで、日本人なんでアメリカ式をしっかり噛み砕いてやりたい。ベースは1カ所で、どっしり構えてやります。これまでの経験と、この3年間の蓄積、そして日本人としてやっていきます」


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