2003/1/26 日本選手権競歩
20kmW優勝の藤野原が1時間20分31秒
日本歴代4位&A標準突破

昨年の全日本実業団1万mW優勝時のコメントを紹介

 大阪国際女子マラソンと同日の1月26日、神戸市で行われた日本選手権競歩の男子20kmWで、藤野原稔人(三栄管理興業)が1時間20分31秒の日本歴代4位、世界選手権A標準突破の好タイムで優勝した。藤野原は東洋大時代、世界ジュニアやユニバーシアードにも出場しているが、1学年上に池島大介(長谷川体育施設)というスター選手がいたこともあり、目立たない存在だった。
 20kmWの年次ベストからもわかるように、卒業後は伸び悩んだ。昨年のアジア選手権で2位になったとはいえ、吉沢永一(明大)に金メダルをさらわれるなど、吉沢やアジア大会代表の山崎勇喜(順大)、後輩の松崎彰徳(東洋大)ら学生陣に先を越されている状況だった。
年次別ベスト
2003 1.20.31.
  02 1.24.21.
  01 1.23.25.
  00 1.25.44.
1999 1.28.54.
  98 1.22.39.
  97 1.25.09.
  96 1.27.35.
  95 1.24.50.
  94 1.27.36.

 しかし、一昨年あたりから安定度が増し、前述のように8月のアジア選手権20kmWで銀メダル。全日本実業団1万mWでは自己新記録で2連勝。そして、日本選手権では山崎を破ってA標準突破を果たした。01年のエドモントン世界選手権20kmWでは柳沢哲(綜合警備保障)が、この種目史上初の入賞(7位)を果たした。池島が故障から完全復調していない現在、柳沢を追うグループの先頭に立ったといえる快歩だった。
 その藤野原に昨年9月の全日本実業団1万mW優勝後に取材をしているので、そのときのコメントを紹介する。今回の快歩を予測させる話の内容だった。

「仕事に穴を空けているわけですから、結果を出して当然だと思っています」

「今回は優勝を狙っていました。2連勝がかかっていましたし、練習もキチッとできていた。母校(東洋大)のコーチをやっていますから、松崎(彰徳・2年)が日本インカレに優勝しましたから、負けちゃいけないと思っていました。
 スタートしてすぐ1人になりました。4分00秒ペースで行って、5000mから上げたかったのですが、上げているつもりが(400 m当たり)1〜2秒落ちていました。寒さで体温が奪われ、動かなかったのだと思います。途中で戻ったりして、トータルではイーブンで行った記録になりましたが…。

 入社して5年目になります。会社があるのはつくば市で、研究所の水質管理をやっています。勤務時間は8時から17時30分まで。練習を終えて帰宅するのが23時で、翌朝3時に起きて朝練習をすることもあります。ポイント練習を多くやる時期は、1日おきくらいにそうなりますね。ポイント練習でないときも、4時か5時には起きて練習します。距離を踏もうとしたら、そうなりますね。土日はきっちり休めますので、東京に出て白井コーチの指導を受けます。
 (アジア選手権で銀メダル後)出社しても、「よくやったな」と個人的に喜んでくださる人はいても、会社としての反応はありません。スポーツ選手を抱えている感覚ではないんですよ。スポーツ選手がいたら、負担がかかる職種なんです。でも、だからこそ、頑張るのが当たり前なんです。仕事に穴を空けているわけですから、結果を出して当然だと思っています。最低でも結果を出して仕事に行く、そうでないと、次の大会に行きづらくなりますから。

「競歩という大きな空間に支えられているから、頑張れる」

(その環境でモチベーションを保てるのは)やればやっただけ、帰ってくるものがあります。走る種目よりも選手寿命も長く、年齢とともに記録が伸びていきますしね。それに競歩は、競歩という枠の中で励まし合って、お互いが身近に感じられる種目。競歩という大きなチームなんです。他の種目にない部分じゃないでしょうか。全国に知り合いがいて、競歩をやることで友人に会える。競歩という大きな空間に支えられているから、頑張れるのだと思います。

 国際大会は、学生時代に3つ出ています。
94年世界ジュニア・ポルトガル
94年ワールドカップ・北京
95年ユニバーシアード・福岡
 20kmWは大学4年の日本選手権競歩(98年1月)で出した1時間22分39秒が更新できていません。社会人になって2年目までは、肉離れなどケガも多かったんですが、最近は安定してきました。1万mWは今日が自己新ですが、20kmWも今度、必ず更新します。
 競歩をやるからには、世界選手権やオリンピックが目標です。柳沢さんの次は学生、みたいな評価になっているのは、まずいと思います。頑張って、社会人の意地を見せたいですね」


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