2003/7/26 南部記念
徳本、暑さの中、果敢にB標準に挑戦
夢破れるも収穫も大

 男子5000mの表彰を待っている席で、優勝したジュリアス・マイナ(アラコ)に「ごめん」という仕草をして謝っていたのが、13分34秒41の大会新で2位となった徳本一善(日清食品)。せっかく引っ張ってもらったのに、B標準(13分25秒40)を切れなくて、結果的に無駄骨となってしまったことへの謝罪だった。ヨーロッパ遠征でB標準を切れず、残されたのは暑さの厳しい日本のレースだけ。傍目には代表入りは苦しいと見えた状況でも、徳本はあきらめていなかったのである。日本選手でただ1人マイナを追走する走りぶりからは、目的意識の強さがにじみ出ていた(ように感じた)。
 男子5000mレース中は他の取材を優先して、スプリットは1000m毎の通告をメモしただけ(表参照)。どうしようもなかったのは事実でも、徳本がここまで頑張ると予想できれば違った対応もできた。若干、悔いが残る。

距離 通過 スプリット
1000 02:41. 02:41.
2000 05:24. 02:43.
3000 08:07. 02:43.
4000 10:52. 02:45.
5000 13:34.41 02:42.4

徳本コメント
「6月29日に日本を出発して、1本レースに出場し、帰国したのは7月10日です。疲労がたまって調子が悪く、13分35秒が切れるとは思っていませんでした。3000mまで行って、その後は大ダレして13分40秒くらいかな、って。それを今日、この暑さの中で13分34秒で行けたのは、自信になります。
 標準記録を切る期限は今日までと言われたのでラビットもお願いしましたが、正直、13分26秒(19)の記録しか持っていない自分が、この環境(暑さと風)で13分25秒(40)を切るのは難しいと思いました。でも、ここしかないわけですから、可能性が1%でもある限りはあきらめたくなかった。1000mごとに、まだ可能性はあると思って走りました。“3000mでまだ可能性がある、4000mでまだある”と思えるように走りたかったんです。ラスト2000mを5分17秒で上がったこともありますから。実際、ラスト2000mで力が残っていれば、13分25秒を切れていました。
 しかし、2回65秒かかった周回があって……マイナは力、ありますよ。この暑さの中で1人で引っ張るわけですから。4000mを過ぎてから体が浮いてしまって、何回か切り換えそうとしましたのですが。(マイナが?)視界から消えると、グッと力が入って、ペースが乱れてしまいました。楽に2分40秒のラップを刻めるようになるのが、課題の1つです。
 標準記録を切れなかったのは、力がないのが一番の理由です。しかし、今回世界選手権を意識できたことで、全ての考えがワンランク上がりました。以前も夢は持っていましたが、今回、練習というか現実を見るようになりました。それは、当面の目標であり、練習の組み立てでであり、日常生活の仕方です。ヨーロッパの試合(結果)などもネットで調べて、それまでは漠然と受け止めていたのを、自分のこととして受け止められるようになりました。自分に当てはめて考えられるようになったんです。
 経験を積んでヨーロッパで走れば、13分20秒は切れると思いました。レースに行くと一番、感覚を覚えやすいんです。“これだけ練習をやった”と言えるのは2〜3月だけで、その後は試合とつなぎの練習でした。そのなかでここまで走れたのは、スタミナがついているからだと思います。
 来年のアテネ五輪に出て、今回のことが無駄ではなかったと思いたいですから、これからの1年、死に物狂いでやりますよ」

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