2003/3/9 名古屋国際女子マラソン
マラソン18回目&天満屋の世界選手権代表第1号
小松が実業団ラストラン
「私たち持久タイプには持久タイプの走りがあります」

 レース後に名古屋観光ホテルで行われた表彰式の壇上に、小松ゆかり(サニックス)が上がった。2時間31分28秒で8位。小松らしいといえば、小松らしい結果で実業団での競技生活を締めくくった。
 小松は1995年の名古屋で日本人トップの2位(2時間29分41秒)となり、同年のイエテボリ世界選手権に出場。当時は天満屋所属で、現在、飛ぶ鳥を落とす勢いの同チームの世界選手権代表第1号だったのだ。

「天満屋、サニックスと11年間、選手生活を送ることができました。チームのスタッフや仲間たち、こういった大会の関係者の皆さんなど、周りの方たちに支えてもらえたからこそ。ここまで選手生活を続けてこられて、本当に幸せでした」

 小松らしいといったのは、記録的な部分。2時間28分48秒(98年名古屋)がベストの小松は、大幅に記録を伸ばすことはなかったが、2時間30分前後(自己ベストから4分以内では)ではいつでも走れていた。

「18回目のマラソンですが、一番、印象に残っているのは初マラソンの名古屋(95年)です。優勝したことも2度(96年アジア選手権・98年シドニー)ありますが、それよりも初マラソンです。2時間30分を切ったのが4回で、そのうち3回が名古屋。今回は自己5〜6番目のタイムです」

 自己何番目の記録か、当の本人が明確に覚えていない点が、彼女の特徴を表していると言えないだろうか。18回目のマラソンということは、年平均2回強のマラソンに出場してきたことになる。日本代表を経験した選手でこの多さは、安部友恵(旭化成)と並んで希少価値がある。
 しかし、失敗レースが多かった結果が、この戦績になったのだと小松は言う。

「初マラソンのときに先頭集団で行って成功して、その後も常に、前に前にと思ってしまうんです。5000mは16分11秒台、1万mは33分23秒台がベスト。(スピードがないのに)練習では強いと言ってもらって、それを求めてレースでも上に上にと行ってしまいました。練習の40km走では2時間25〜26分で行けたこともあるんです。そのときは最後の5kmを17分30秒に上げてもいました」

 近年、トラックのスピードランナーがどんどん、マラソンにも進出している。そういった状況に、小松のようにスピードのない選手は、どのように対処しようとしていたのだろうか。

「スピードを持っている人には持っている人の、私たち持久タイプには持久タイプの走りがあります。世界最高と言っても、5km当たりは16分40秒。16分11秒のベスト記録があるなら、17分で押していくのはできると思いますし、それができれば戦える。実際、17分ペースで押していったら、30km以降で落ちることが多かったんですけど…。なんとか入賞しておきたかったですね」

 そんな小松にとって、マラソンとは何だったのだろう?

「夢とか目標というより…なんて言うんでしょう。陸上競技を続けてこられたのはマラソンがあったからです。走ることが好きだったから、自然にマラソンに挑戦したっていうか…。自分の競技生活の中で夢であり目標だったから、戦うこともでき、そこに向けて練習をすることもできた。苦しみを乗り越えられたのも、できなかった練習をこなせるようにもなれたのも、マラソン中心の競技生活だったからです」

 実業団で走るのはこれが最後となるが、走るのをやめるわけではない。今後の具体的なプランは決まっていないが、また、どこかのマラソンで、2時間30分前後の記録で走っている姿は十分に想像できる。


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