2003/3/7 名古屋国際女子マラソン
実質初マラソン、注目の橋本康子
1年3カ月前の記事
渋井陽子(三井住友海上)の出場回避で、目玉選手が少なくなってしまった名古屋国際女子マラソン。マラソンの記録では大南敬美(UFJ銀行)、トラックの実績では岡本治子(ノーリツ)、市民ランナーばりの選手ということでは田中千洋(トクセン工業)が注目されている。だが、忘れていけないのが橋本康子(サミー)であろう。
一昨年12月の全日本実業団対抗女子駅伝1区で区間賞。その1週間後にハーフマラソンでも1時間08分55秒の日本歴代7位(当時)をマークした。日本生命の休部に伴い、昨年サミーに移籍。マラソン練習をこなしながら11月の国際千葉駅伝、12月・1月・2月とハーフマラソンで確実に好走して、関係者の期待を集めている。
この1年の戦績はサミーのサイトをご覧いただくとして、ここでは、ハーフマラソンでも1時間08分55秒の日本歴代7位(当時)をマークした2001年12月の記事を紹介する。
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▼【先週の“MIP”】 2週連続快走を見せた橋本康子
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MIPはMost Impressive Performanceの略、日本語に訳せば「最も印象に残ったパフォーマンス」。ただし、ここでは客観性よりも、ライター寺田が見た主観的な判断で選んでいます。今回は、12月9日の全日本実業団対抗女子駅伝1区(6.6km)で区間1位(20分34秒)、16日の神戸全日本女子ハーフマラソンで2位(1時間08分55秒)と、2週連続で好走を見せた橋本康子(日本生命)選手を選びました。
橋本康子はラスト1kmでいったん、山中美和子(ダイハツ)の前に出ようとした。だが、残りの1kmは上り気味のことを考え、また山中の後ろについた。そして、最後のスプリント勝負に賭けた。前週の実業団駅伝では、川島真喜子(東海銀行)をラスト勝負で振り切っている。しかし、スプリント勝負といっても、ここまでハイペースで進んだら、余力のある方が有利だ。まして、相手の山中は中学時代から、トラックで全国レベルの競り合いを経験している選手。1週間前に成功しているからといって、同じことが再現されるとは限らない。
それでも橋本は最後、必死の形相で山中に勝負を挑んだ。1週間前と違うのは、レースの距離、スプリント勝負を仕掛けたときの疲労度、そして相手の選手…それだけではなかった。この1週間の間に橋本は、日本生命の陸上部が3月いっぱいで廃部となることを知らされていた。ラスト勝負をしている最中、胸中に去来したものがなんだったのか、第三者が推し量るのは難しい。
橋本陣営は神戸では、1時間10分を切れれば上出来と考えていた。コースに何カ所も折り返しがあり、その都度リズムが崩れることが予想されたからだ。ところが、1時間08分55秒の日本歴代7位(高橋尚子と並んで)と、予想以上の好タイム。もっとも、優勝した山中美和子(ダイハツ)が、最初から最後までレースを引っ張ったから出た記録といえたが…。
だが、山中が前週の実業団女子駅伝を走っていないのに対し、橋本は先に紹介したように1区で区間賞の走りをしている。いくら神戸が世界ハーフマラソンの選考会に指定されているとはいえ、ウエイトとしては駅伝の方に置いていたはずだ。メンタル的には、駅伝が終わって一息ついていてもおかしくないところだろう。身体的な疲れがあったことも予想される。
だが、橋本陣営には1つの成功例があった。9月29日の全日本実業団1万mで岩本靖代(日本生命)が31分50秒97の自己新で2位となり、その1週間後の世界ハーフマラソン選手権で9位(1時間10分06秒)となっているのだ。
「9月と11月は、練習の組み方を同じにした」という森岡芳彦監督の言葉から、橋本陣営が2週連続のレースに、それなりの自信を持って臨んだことがわかる。
橋本康子という選手を理解するためには、彼女の競技歴を知っておく必要がある。
1975年8月12日生まれの26歳。今年、5000mで15分20秒台(15分28秒94)に突入し、日本GPシリーズの年間種目別優勝を果たした。急に台頭した印象もあるが、入社1年目には5000mで15分48秒01、2年目と3年目にも15分30秒台をマークしている。
しかし、大学までは、全国的には無名の選手だった。東女体大時代の各種目のベスト記録は以下の通り。
3000m 9分48秒8
5000m 17分11秒3
1万m 34分57秒22
マラソン 2時間43分12秒
大学時代の各種目の記録を比較すると、長めの距離の方がレベルが高い。順位的に最もよかったのが、日本学生選手権マラソンでの6位。しかし、競技への情熱は人後に落ちることはなかった。スカウトされたのではなく、自ら実業団で走り続けることを決めた。
福島県の清陵情報高時代の記録にも、特徴がある。各学年毎のベスト記録は以下の通り。
3000m・3km 5000m・5km
中3 10分26秒
高1 10分03秒7
高2 10分23秒1 17分35秒6
高3 10分02秒2 17分20秒
清陵情報高といえば、マラソン日本最高記録保持者の藤田敦史の母校でもある(橋本が1学年先輩)。藤田も高校時代の5000mのベスト(14分50秒台)は2年時に記録していたが、橋本もトラックの3000mの記録は、3年間でそれほど上昇していない。その点、ロードの5kmの記録に関しては多少なりとも進歩の跡が見られる。
たった2人のサンプルで共通点が見られるからといって結論づけるのは早計だとは思うが、もしかすると清陵情報高の練習が、トラックの記録を出すことにこだわらない練習法だったのかもしれない。
さて、橋本であるが、98年4月の日本生命入社以後、すでに6回ハーフマラソンを走っている。各5km毎のスプリットは以下の通り。最後は1.0975kmのタイムを5kmに換算してあるので、当然だが20kmまでよりもいい記録になっている。
〜5km 〜10km 〜15km 〜20km 〜21.0975km Finish
99札幌 16分15秒 17分45秒 18分07秒 18分13秒 16分28秒 1時間13分57秒
00東京 16分33秒 17分26秒 17分24秒 17分07秒 16分01秒 1時間12分01秒
00山口 16分43秒 17分07秒 17分36秒 17分35秒 16分24秒 1時間12分37秒
00札幌 16分47秒 16分51秒 17分09秒 17分34秒 16分46秒 1時間12分02秒
00メキシコ 16分33秒 16分55秒 17分41秒 18分02秒 17分05秒 1時間12分54秒
01神戸 16分08秒 16分19秒 16分22秒 16分31秒 16分14秒 1時間08分55秒
(資料提供:森岡監督)
これまでのレースは、7〜8kmから減速することが多かったという。タイムを見ても、10kmから15kmまでを16分台で刻んだことはなかった。トラックの記録を上げることに主眼を置いてきたこともあるが、一見、(長めの距離の方が強かった)学生時代とは逆の傾向を示している。それでも、世界ハーフマラソン選手権の代表に選ばれ、メキシコで行われた本番でも9位に入っているのだから、そうとも言い切れない。実際、20kmまでのタイムを見ると、大きく落ち込んではいない。むしろ、粘っていることがわかる。
山中に引っ張られての記録とはいえ、今回のレースで長い距離に対しての不安は払拭されたと見ていい。繰り返すが、前週が6.6kmのレースだったのだ。高校や学生時代の記録から、長めの距離に適性があるのは確か。そして元々、橋本自身、マラソンに対して関心は高い。卒業論文は、マラソンに関する研究分析(タイトルは「第1回学生マラソン選手権に至るまで」)だったのだから。
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