2003/2/22 日中対抗室内横浜大会
200 mで中国2選手、招待2選手を抑える好走
三重大初の“日の丸”を付けた石川とは…


 石川裕司(三重大4年)が21秒72で天津大会(21秒69)に続いて2位と、中国2選手に先着した。優勝した高平慎士(旭川大高)には0.49秒の後れをとったが、野田浩之(大社高)と福長正彦(東学大ARC)という、石川よりはるかに名の知られた2選手に先着したのは評価できる。この石川、今回が「室内も初めてなら外国の試合も初めて、胸に日の丸を付けるのも初めて」という若葉マーク選手。三重大選手の日本代表自体、史上初めてだという。166cm・55kgの体格も、日本代表レベルでは見るからに華奢である。
「バンク(カーブ部分の傾斜)が付いているとは思わなかったので、天津ではショックでした。横浜のトラックは昨日初めて見て、スタンドと近いなと思いましたが、試合になったら気になりませんでした。食事は元から好き嫌いが多くて食べられない方なので……(海外でもあまり変わらない)。初めてのナショナルチームでの遠征ですが、何回か一緒になったことのある人もいて、安心して行くことができました」
 石川は静岡県の富士宮西高出身。21秒53のベスト記録を持って臨んだ97年の京都インターハイは、あえなく予選落ち。優勝した山村貴彦(富士通)を筆頭に、奥迫政之(ミキハウス)、藤本俊之(富士通)、福長ら今も頑張っている選手がいた代である。
 翌98年に三重大工学部に進学。2年時から杉田正明監督の指導を受けることになる。杉田監督は三重大大学院を経て東大の助手となり、その頃から日本陸連科学委員会のスタッフとして精力的に活動している人物(現在は陸連科学委員会副委員長)。どちらかというと研究者タイプのイメージが強いが、99年に三重大に戻ると積極的にグラウンドに立った。これまで不十分と指摘されていた、研究室と現場レベルの指導の連携に、意欲的に取り組んでいる。
 杉田氏の指導の下、石川は以下のように記録を伸ばしてきた。
96年(高2):21秒96
97年(高3):21秒53
98年(大1):21秒52
99年(大2):21秒45
00年(大3):21秒14
01年(大3):20秒90
02年(大4):20秒79

 日本インカレは01年に3位。1・2位は末續慎吾(東海大)と松田亮(広島経大)のエドモントン4×100 mRファイナリストコンビで、宮崎久(東海大)と同着の表彰台だった。昨年は6月の日本選手権で5位入賞。7月の三重県選手権で20秒79の自己新を記録したが、1時間後の4×100 mRで肉離れ。練習を再開できたのは日本インカレ後の9月末だった。

「4月からは工学部の大学院に進学しますが、陸上競技と両立していきます。どちらか一方というのでなく」
 それにしても、20秒台7台といえば、10年前であれば日本記録(20秒74)に0.05秒と迫る好記録である。
「(20秒79を出したからといって)自分の意識は変わっていません。とにかくベストを更新しようという考えでやっています。自分の限界を塗り替えていくのが陸上競技の面白さ。今年は6月の日本選手権、7月の日本インカレまでにベストを更新したい。
(世界選手権やオリンピックは)機会があったら行きたいとは思いますが…。今回(の代表入りで)少し、身近に考えられるようにはなりました」
 福島大の活躍は言うに及ばないが、近年、岩手大や熊本大、三重大など俗に言うところの“地方国立大”選手の活躍が、目に付くようになってきた。それぞれのスタンスで頑張ることが好結果となって表れると、見る側にも楽しみが増えてくる。

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