2003/10/12 日本選手権リレー&群馬リレーカーニバル
敷島スプリントB
高平&川畑が200 mで五輪B標準突破
川畑好走の一因は土江の“アピール”
ユニバーシアードで両リレーを走ったことからわかるように、また、インターハイは200 m優勝&100 m5位、国体は少年A400 m優勝の実績からも、高平は100 mから400 mまで走れるタイプ(さらに110 mMHで全日中4位にもなっている)。スーパー陸上の際には、「目標は2007年と2008年ですが、スキあらば来年(アテネ五輪)のリレー代表も」と話していたが、もちろん個人で狙いたい気持ちの方が大きい。
「リレーだけで出ようとは考えません。陸上競技は本来、個人競技ですから。200 mを(中心に)やっていれば、100 mにも400 mにも役立ちます。末續(慎吾・ミズノ)さんのように、強い人はどの種目も強いですから。国体は400 mですが、昨年の方が400 m用の練習はやっていました。でも、ユニバーシアードの感触から、46秒台前半は行けると思います。ユニバーに行って、世界ジュニア以来となる世界を肌で感じて、遠くはないと思いました。ただ、帰国して世界選手権のビデオを見ると、ビデオでしたからスピード感が違いますけど、ユニバーシアードとはかなりスピードが違います。ユニバーにも世界選手権で戦えるような選手もいましたけど。世界選手権やオリンピックは、条件が悪くても力を発揮できる人が、活躍できるんだと思いました」
どうやら、この1年間で高平の世界に対する意欲は、大きく膨らんだのは間違いなさそうだ。その思いは、2位の川畑も同様だったに違いない。川畑の場合はすでにシドニー五輪を経験しているだけに、“もう一度”という部分があり、高平のそれとは異なるかもしれないが。高平にこそ後れをとったが、20秒74と3年前の自己記録を更新してB標準も突破。日本選手権2位の松田に0.02秒先着した。
「ツッチーが200 mを走れるなら、僕も走れるところを見せたかった」
9月末の全日本実業団では、パリの世界選手権で1走を務めた土江寛裕(富士通)が200 mに20秒86の自己新で優勝。周囲から前半型と思われている土江は、リレーの最後、バトンパスの部分まで高速で走りきれないと、陸連コーチから指摘されていた。それができることを200 mの実際の走りと、「自分は後半も走れる」と口にすることで、積極的にアピールしているのだ。
川畑も土江同様前半型と思われているが、今回の200 mで1走候補の資格を十二分に持っていることを、強烈にアピールしたのである。土江の“200 mでのアピール”は、ライバル選手をも刺激する形になり、結果的に日本の短距離界全体を活性化した。土江を焚きつけた陸連コーチの狙いも、実はそこにあったのかもしれない。
川畑は今季、日本選手権100 mこそ7位と不覚をとったが、東日本実業団・全日本実業団と優勝し、南部記念でも2位。いずれも土江には先着している。日本選手権で3位(7位・川畑まで0.06秒という混戦)となった土江に、ここ一番の強さがあったとも言えるのだが(織田記念でも日本人1位、100 m&200 mで自己新と29歳にして充実ぶりが光った)。
前回五輪イヤーの2000年は、川畑が勝負強さを見せて代表入りし、シドニー留学中だった土江は代表落ちの憂き目を見ている。来年の結果は?
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