2003/3/2 びわ湖マラソン
藤原正和と報道陣の一問一答
初マラソン日本最高&学生最高にも
「70〜80点。35kmで躊躇したのが自分の弱いところ」

 レース後の共同会見、ドーピング検査を経た後、放送メディアを中心とした藤原正和への囲み取材があった。その模様を構成し直して(実際のやりとりの順番を多少変更し、関連のあるテーマをまとめて)紹介する。

「目標は2時間8分30秒を切って優勝することでした」

Q.レースを改めて振り返ってみると?
藤原 思っていたように楽しく走れましたし、2時間8分30秒を切るという目標も達成できたので70〜80点です。
Q.初マラソン日本最高と、すごいことをしたのに70〜80点?
藤原 たまたまです。それに、女子の坂本さん(直子・天満屋)は同じ兵庫県出身で、(初マラソン)世界歴代10傑に入っていますが、僕は入っていません。
Q.スタート前の目標は?
藤原 2時間8分30秒を切って優勝することでした。優勝しようと思っていないと、日本人1番にもなれないですから。
Q.不安はなかった?
藤原 不安はありませんでした。自信を持って練習ができましたし、いい体調でびわ湖入りできていましたから。
Q.練習には誰かの意見を採り入れている?
藤原 箱根駅伝前から小川さん(藤原が1年時の中大キャプテン・現ホンダ)に相談して、これなら42.195kmを走れるだろうと。後半落ち込むのは覚悟していましたが。
Q.(質問不詳)
藤原 25kmから集団の前に行って、外人選手に付くようにしました。石山寺の坂(31km過ぎ)で若干、脚に来ているきつさを感じましたが、もしかしたら行けるかなという感触もありました。
Q.今日の結果は嬉しかった?
藤原 フツーに嬉しかったのと、外人に行かれたのと…。35km以降、外人2選手に付くか、清水さんに付くか迷い、結局、安全策を取ったのが自分の弱いところでしょう。外人との力の差を感じてしまいました。

「学生でもマラソンを走れることを証明できた」

Q.びわ湖出場を意識したのはいつから?
藤原 2年の12月には意識していました。ユニバーに行った頃(3年の夏)から明確に、マラソンで行くしかないと思っていました。
Q.出雲、全日本とよくなくて、箱根でよくなって今回と来ていますが。
藤原 1年間4年生として、キャプテンの仕事やってきたりしました。その間にコーチが代わるなどして、色々なことをやる必要に迫られて、最初は駅伝で結果を出せずにつらい時期もありました。しかし、仲間と一緒に箱根までしっかりでき、そこからよくなって、人間的に大きくなった部分を出せたと思っています。
Q.箱根からはずっと順調に?
藤原 2月の初めに軽く脚を痛めました。箱根から2カ月で何とかしようと、就職先であるホンダの合宿などに参加させてもらいました。(今日の結果は)支えてくれる人たちがいたおかげです。短期間でマラソンを走れるようにしてくれた人たちに、感謝しています。
Q.今日のレースは集大成の意味もあった?
藤原 4年間、中大でやらせてもらいましたから、いい結果を出して、中大に恩返しをしたいと思っていました。
Q.マラソンに向いていると感じた?
藤原 学生でもマラソンを走れることを証明できました。他の選手も箱根駅伝だけにとらわれず、トラックやマラソンにトライしていって欲しいと思います。

「世界選手権でメダルを取って、アテネ五輪でも…」

Q.2度目のマラソンが世界選手権になりますが。
藤原 2回目が難しいと言われていますが、世界選手権も今日のような初心を忘れずに、トライしたい。
Q.これまでの日の丸を付けた経験は?
藤原 世界クロスカントリー選手権に1回(大学1年時)とユニバーシアードに1回(3年時)、行っています。どこへ行っても食べ物は気になりません。パリでは美味しいフランスパンを食べて、景色を眺めながら走りたい。今日も途中まで、びわ湖とか見ながら走れていました。
Q.(質問不詳)
藤原 当然、アテネ五輪を狙って、世界選手権には臨みます。世界選手権でメダルを取ってアテネ五輪の代表となり、厳しいものだと思いますが、アテネ五輪でもメダルを取る走りをしたい。
Q.世界選手権には尾方剛選手(中国電力)、油谷繁選手(同)とすでに代表に決まっていますが。
藤原 代表は5人いるわけですが、メダルの数は限られています。味方というより敵という意識です。
Q.福岡、東京と3つのマラソンで一番いいタイムでしたが。
藤原 東京のコースは坂もありますから、1分くらい違うと思いますし、今回は外人選手にいい記録を出させてもらった面もあります。今、マラソンで一番強いのは油谷さんと高岡(寿成・カネボウ)さんだと思っています。そういった人たちに負けないようにしないといけません。

「できないと思えるような目標を掲げた方が、実際は早く達成できる」

Q.2年時の1万mジュニア日本記録も、3年時のユニバーシアード・ハーフマラソン金メダルも会心ではないと以前に聞きましたが、今日も会心ではない?
藤原 やっぱり、35kmから(外人選手を追うかどうするか)躊躇した部分がありますから。
Q.目標の設定の仕方が大きいタイプに見受けられますが。
藤原 できないと思えるような目標を掲げた方が、実際は早く達成できると思います。もちろん、大きな目標でも、達成できると思って立てています。
Q.授業にもしっかり出て、模範的な学生選手と言われていますが。
藤原 西脇工高で“競技者である前に高校生なんだ”という点を、徹底的に教えられました。勉強をしたかったというのもありますが、大学でもまず、しっかり自分を管理する選手がホンモノです。大学に入って弱くなる選手はだいたい、その辺でダメになりますから。遊びに行くこともありますよ。でも、はめを外しすぎないようにしていました。
Q.座右の銘とかあるんでしょうか。
藤原 “努力・忍耐・感謝”です。高校のときに故障が多くて辛かったですけど、そのときの経験が今に生きています。メンタル的な部分が非常に重要だと思います。


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