2002/9/8 日本インカレ3目
47年ぶりの快挙!
東海大が男子短距離5種目を完全制覇
1年生・山口の優勝がキーポイントに

東海大短距離ブロックの優勝者全員の写真

 大会最終日、東海大短距離ブロック最初の優勝者は、800 mの鈴木尚人(4年)だった。
「同じ短距離ブロックの選手たちが頑張っているので、自分も頑張らないといけないと、いいプレッシャーになっていました。これで宮崎とマイルが勝ってくれれば、全種目優勝なんです。(全種目制覇に向けて雰囲気は?)盛り上がってますよ。初日に400 mで1年生(山口有希)が勝って、全種目行けるんじゃないか、という雰囲気になりました。レースとしては、比較的楽な展開でした。全国初タイトルなので嬉しいのですが、“勝ったぞ”という充実感としては、もうひとつです」
 これが、勢いというものなのだろうか。
「800 mでは今も笹野(浩志・富士通)さんや中野(将春・大塚製薬)さんがそうですが、今後もスピードタイプの選手が増えていくと思います。アジアで戦うためにも、400 m・800 mの選手が頑張らないと」
 鈴木は、自分が短距離ブロックにいることに、誇りすら感じているようだった。

 東海大は最終日、短距離ブロック・キャプテンの宮崎久(4年)が200 mを制し、短距離個人3種目完全制覇を達成。全体のキャプテンである末續慎吾(4年)が4×400 mRのアンカーで締め、両リレーを含めた短距離5種目完全制覇をも成し遂げた。
 内訳は以下の通り(優勝者全員が揃った写真)。
▼100 m( 7日・+0.5)
1) 10.20 末續 慎吾 (東海大 4熊本)
準決勝1組 (+0.9)
7) 10.79 上野 政英 (東海大 1石川)
▼200 m ( 8日・+0.5)
1) 20.73 宮崎 久 (東海大 4福岡)
4) 21.16 松本 一輝 (東海大 1京都)
▼400 m ( 6日)
1) 46.58 山口 有希 (東海大 1京都)
3) 47.44 富樫 英雄 (東海大 3山形)
▼4×100 mR( 7日)
1) 39.12 東海大 〔宮崎 ・末續 ・吉野 ・松本 〕
▼4×400mR ( 8日)
1) 3.06.04 東海大 〔北岡 ・山口 ・富樫 ・末續 〕
 これに、800 mの鈴木尚人の優勝を加えるとトータルで59点。総合初優勝に沸いた東海大の全得点は92.5点。短距離ブロックの占める割合は、63.8%にものぼった。

 短距離ブロックを率いるのは高野進コーチ。400 m44秒78の日本記録保持者で91年の東京世界選手権、92年のバルセロナ五輪ファイナリストだが、近年は指導者としてのイメージが強くなってきた。
「800 mも含めた6種目制覇は狙っていました。400 mが一番難しいと思っていたのですが、山口の状態がよく、もしかしたら行けるかもしれないと。実際、初日に山口が勝って勢いがつき、1日1日、徐々に、行けるんじゃないかという手応えになってきましたが、欲を出さずに行こうと気を引き締めていました。終わってみたら、あっけなく、という感じもありましたけど。得点は、一番悪かったら44〜45点と考えていました」
 短距離ブロックのどの選手に聞いても、「山口が勝った時点で…」というコメントが得られた。末續・宮崎というアジア大会代表の4年生コンビが大黒柱であることは自明のことだが、カギを握っていたのは1年生の山口だったのである。日本ジュニア2位(47秒40)、世界ジュニアは予選落ち(47秒74)だった山口が、この大会に調子を上げてきたのが大きかった。
 調子を上げていたのは何も、山口だけではない。個人種目で日本インカレに出場できなかった吉野達郎(2年)が、翌週のスーパー陸上200 mでは1組目を制した。末續・宮崎が2組目の強い選手が揃うレースに回ったとはいえ、日本のトップ選手が揃った中で他を圧する走りを見せたのである。
 高野コーチによれば、「コーチの主観で選手を選べない」ような状況で、選考レースを行なったという。その結果、日本選手権400 mの決勝に残った北岡慶昭が出場できなかった。それだけ、今の東海大ブロックは充実している。来年の課題は、末續・宮崎が抜けた後、日の丸をつけられる選手が育ってくるかどうか、だろう。

 短距離5種目制覇は1955年の中大以来、実に47年ぶりの快挙だった。同一校による短距離個人3種目制覇も、そのときの中大以来47年ぶり。歴史的な快挙を同時に達成した。すでに紹介したように、東海大は短距離完全制覇だけでなく、男子総合優勝もやってのけたが、これは創部43年目の快挙だった。
 メディアの人間だったらどちらの見出しを大きくするか、迷うところだろう。冷静に見れば、短距離全種目制覇の方が価値がある。日本インカレの総合優勝校は毎年1校、必ず誕生するわけだが、短距離全種目制覇は、前述のように47年間、半世紀近くもの間、どの大学も達成できなかったことなのである。
 だが、実際に取材をしてみると、選手たちは総合優勝の方を喜んでいた。2日目の100 m優勝後、末續は総合優勝に関して「後輩たちには悪いけど、今年がチャンスだと思っています。それに、自分たちが4年生のときに達成したい」とコメントした。最終日の200 m優勝後、宮崎は「総合も、短距離全種目制覇も、どっちもいきますよ」と、言い残して4×400 mRの応援に去っていったが、4×400 mRの後にどちらが嬉しかったかと質問すると「総合優勝の方が、大きかったです」と、声を絞り出した。
 毎年、客観的にインカレに立ち会っている立場の人間と、毎年、「今年こそは自分たちが勝つんだ」と思ってインカレに臨んでいる立場の人間では、感じ方に差が出るのは当然だろう。東海大関係者から見れば、“悲願の総合初優勝”の方が嬉しいに決まっている。

 かつて、東海大短距離ブロックのエースとして活躍し、現在はトレーナーとしてチームを支えている米沢昌弘氏は「平塚で行われた日本インカレを思い出しました」と、感慨深げにつぶやいた…。
 1990年の日本インカレは東海大の準地元とも言うべき平塚で行われていた。102.5点と101点。日大が僅か1.5点のリードで最後の4×400 mRを迎え、200 m優勝者のアンカー米沢が日大より2つ前の順位でフィニッシュすれば東海大の逆転優勝だった。日大アンカーは200 m4位の木内雅人だったが、0.99秒差で逃げ切り日大が2年連続8回目の総合優勝を果たしている。


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