2002/10/21 よさこい国体1日目
男子三段跳、杉林が地元・小松にリベンジ
上位3選手コメントなど


 成年男子三段跳は杉林孝法(ミキハウス)が4回目の16m50(−0.9)で優勝。2位に16m49(−2.3)で石川和義(筑波大)が入り、地元の小松隆志(高知陸協)は15m97(−0.1)で3位だった。6月の日本選手権は杉林の地元・金沢開催で小松が優勝し、杉林は3位。7月の南部記念で16m80と今季アジア2位、来年の世界選手権B標準に達したが、アジア大会代表には選考されなかった。
杉林「今回は記録や技術よりも、勝負を優先しました。金沢でやられていますから、気を遣うこともないかな、と。技術は技術として、それは別問題として意識していましたが、国体という性質上、最低でも勝たないといけないと考えていました。お世話になっている先生がたも、いっぱい来られていますから。
 日本選手権の失敗で、アジア大会はないものと思っていました。南部の結果であわよくば、とも考えましたが、(選ばれず)悲観したわけではありません。技術的な問題がいっぱいあったので、時間があっていいかなと、選手としては前向きに考えました」

 今季、自己記録を連発し、関東インカレ・日本インカレとタイトルも獲得している石川。だが、その最大の特徴は、国際大会での強さにある。8月のアジア選手権に16m42と、当時の自己2番目の記録で2位。しかも、向かい風(0.5m)だった。代役として出番が回ってきた9月のワールドカップでは16m50(+1.1)の自己新。三段跳の参加選手中、唯一の自己記録更新者となった。
石川「(6回目の16m49は)手拍子も求めモチベーションも上がっていましたが、スタートでミスってしまいました。終わってから気づいたことですが、変な感覚の助走でした。気合いで記録を伸ばした跳躍でしたね。まだまだ荒削りなんでしょう。(その跳躍で自己記録に1cmと迫れたのは)下手くそで、風が追っても向かっても、変わらないから。今年、上手くいったなと思えるのは、南部記念(7月・16m47)だけです。それ以外は納得いくジャンプじゃありません。(国際大会で結果が出ているのは)海外で条件が悪くても、そういうのを気にしないからかもしれません」

 12月に35歳となる小松は、地元に奉職して13年目。春野総合運動公園は職場でもある。周囲は知り合い、関係者ばかりと言ってよかった。競技前のトライアル時には、ピットに出てくるとスタンドに向かって何度も何度も会釈を繰り返していた。小松の跳躍順が来てピットに出てくると、スタンドから拍手。小松の跳躍順が来ると、ふだんはスタンド室の奥にいる白髪の役員が、デジタルカメラを手にピットの脇に出てくる。競技後は、地元テレビ局のスタジオに移動して、午後6時半頃からテレビ生出演。以下は、そのときの、小松の人柄が滲み出るコメント。
小松「3位は実力通りの結果。2回目で15m97が出て、これで16m50も行くかな、と思いましたが、結局はまりませんでした。1本でもはまればよかったのですが…。向かい風が常に4mくらい吹いていてくれれば、筋力のある僕が有利になるかなと思っていました。5回目は風が来て(追い風になって)、力みが入ってしまいました。焦ってしまいましたね。6回目は、ホップした時点でダメだとわかりました。
(アジア大会よりも)雑でしたね。やっぱり、焦りがあったんでしょう。アジア大会も大事な大会でしたが、国体はお世話になっている方たちの前での試合。ええカッコしたかったのですが、実力通りでした。(今季は日本選手権とアジア大会の間は4カ月近く試合に出なかったが、今回はアジア大会から僅か11日間)歳の割には回復しました。帰国したときは、もう1試合あるのか、という気分でしたが、上手く回復し、いい緊張感もあって気持ち的に盛り上げられました。アジア大会後は筋肉をほぐすことに重点を置きました。針治療もやっていただきましたが、これがなかったらダメだったでしょうね。職場の方の応援と理解があって、乗り越えられました。僕の仕事をカバーしていただきました。恩を返したい気持ちが強かったです。
(朝、起きて最初に思ったことは)雨が降り続いてくれたら、と思いました。雨なら、地元の僕はスパイクをたくさん用意できるので、1回1回替えて、乾いたスパイクで跳べます。他の選手はそんなにたくさん持っていないはずなので、濡れたスパイクで跳ばなければいけません。
(今後は)これまで陸協の方、高知の先生方にお世話になってきました。競技を通じて得たものを、子供たちに教えていきたい。(競技会には)どうしましょうか。どうしたらええですかね?」

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