2002/11/10 東日本実業団駅伝
突発的ちょっとした特集
大物新人
たちの実業団“初”駅伝

 今年も、箱根駅伝で活躍した大物新人選手が、実業団駅伝に舞台を移し、新たな一歩を踏み出した。全員が順風満帆、と足並みが揃ったわけではない。順調な選手もいれば、上手くいっていない選手もいる。東日本大会でコメントを聞くことができた4選手について紹介したい。

奥田真一郎(NEC)
駅伝は区間賞、トラックは自己新連発と絶好調
「クインテットには負けたくない」


 2区で区間賞の好走を見せたのが、昨年まで順大クインテットの1人だった奥田真一郎(NEC)。日産自動車と2秒差のトップでタスキを受け、いったんは追いつかれたが、1.92kmの牧ノ原交差点を左折したところ(向かい風になったところ)で日産を引き離し、3区への中継では2位に上がった日清食品に36秒差とした。20分56秒の区間新でもあった。
「実は今まで、駅伝でトップを走ったことがあまりないんです。いつも2位とかを走ることが多かった。高校(西脇工高)では1区でしたし…。今年の箱根くらいですね(2区に出場し1秒差の1位でタスキを受け、途中でトップに立つ場面も。4位で3区に中継)。だからこそ、今日は絶対にトップでタスキを渡したかった。何番でもらっても、トップに立つつもりでした」
 奥田の今季は大学時代とは対照的に、トラックで頑張ったという印象があった。5000mは13分58秒80から13分50秒59に、1万mは29分23秒11から28分51秒79に。9月の全日本実業団5000mでは、27分ランナーでチームの先輩である山口洋司(NEC)に先着した。今大会後、11月末の八王子ロングディスタンスでは、強風の中で28分43秒10を記録。条件が良ければ28分15〜20秒は出せただろう。
「確かに、スピード練習の質は高くなりましたが、自分の中では元々、トラックの試合にあまり出なかったから、記録が悪かったんだと思っています」
 実際、1年前には練習の10kmを28分57秒で走ったことがある。箱根駅伝前はそのくらい、いい状態に仕上がっていた。
 ただし、今大会に完調で臨んだわけではない。10月末に脚を痛め、走りのバランスが悪くなっていた。疲れも出て、東日本に出られるかどうか、奥田自身は自信がなかったという。その状態でも、この日の快走。今季の奥田の成長を物語る走りだった。
 全日本実業団対抗駅伝では、重要区間を任せられることになるかもしれない。強風下の八王子で自己新を出したということは、向かい風の予想される5区あたりか…。
「誰に負けたくないと言ったら、昨年までのクインテット。同じ区間になったら、絶対に負けません」
 1年前の箱根駅伝では、エース区間の2区を任された。といっても、それは岩水嘉孝(トヨタ自動車)が欠場したため、という見方もあった(本当のところは順大関係者にしかわからない)。インカレなど、個人レースでタイトルを取ったこともない。元旦、重要区間で区間賞獲得となれば、“元クインテット”の中で、奥田の株は一気に上昇する。

神屋伸行(日清食品)
高2以来のメンバー落ち
「(レースが)終わって冷静になると、そんなに嬉しくないんです」


「裏方を一生懸命にやって、ゴールしたときは嬉しかったんですけど、終わって冷静になると、そんなに嬉しくないんです」
 奥田真一郎(NEC)とは西脇工高の同期で全国高校駅伝に優勝、昨年まで駒大のエースとして箱根駅伝優勝を2度経験した神屋伸行(日清食品)は、全日本実業団駅伝初優勝を狙う日清食品に入社。この日、創部8年目で東日本を制した歓喜の輪の中にいた。だが、自身は控え選手となり走ることはできなかったのだ。
 西脇工高、駒大と常に、駅伝で優勝を争うチームに身を置いてきた神屋。
「高2の兵庫県大会以来ですね、メンバーから外れたのは。そのときは報徳に負けましたから、優勝したチームのメンバーから外れたのは初めてです」
 1年前、最後の箱根駅伝(2区)に臨んだ神屋だが、レース前から一抹の不安があった。レース中に左の腰に「ビキっと来て」、不安が現実のものとなってしまったが、それでも、故障を押してエース区間で区間9位と、傷口を最小限にとどめたのは“さすが”だった。2月の東京国際マラソンに出場したが、まともに走れる状態ではなかったのだ。
 故障は徐々によくなって、夏前には完治。「2年ぶりくらいに、よくなってきたな」と自覚できたという。ところが、8月の十和田八幡平駅伝で得意の上り区間を受け持ったまではよかったが、そこで左大腿裏を痛めてしまった。10月に練習を再開したが、東日本には間に合わなかった。
 11月末の八王子ロングディスタンスでは、早い段階で集団から大きく遅れる神屋に人気(ひとけ)の少ないスタンドから、「どうした神屋!」の声もかかった。30分以上もかかる結果では、全日本初優勝を狙う日清食品でメンバー入りすることはできない。
 周知のこととは思うが、西脇工高では奥田が1区10kmを、1学年下の清水兄弟(日大)が8km区間を、神屋は5km区間を担当した。駒大進学後は、大学レベルですぐに頭角を現した神屋が奥田以下の元チームメイトたちをリードしていたが、今年は再度、奥田が前を行く格好となった。
 あの神屋が、それを悔しく感じないわけはない。はらわたが煮えくりかえる思いをしているはずだ。高2の兵庫県大会でメンバーから外されたときも、その悔しさを翌年の活躍(インターハイ5000m7位)につなげた。来年の捲土重来は間違いないだろう。

徳本一善(日清食品)
あの箱根2区以来の駅伝
「トラウマになっていて、5kmくらいからきつくなってしまった」


 徳本一善(日清食品)に関しては、多くのメディアが取り上げている。筆者自身、サンデー毎日増刊の「ニューイヤー駅伝公式ガイド」に記事を書いているので、ここでは、東日本実業団駅伝の際のコメントを紹介するにとどめたい。
 ちなみにこの日の徳本は、3区で山口洋司(NEC)に20秒敗れて区間2位だった。

Q.実業団選手として最初の駅伝は、どうでしたか。
徳本 チームが優勝でき、満足しています。中学以来、駅伝の優勝はありませんでした。初めての優勝みたいなものですから、嬉しいですね。
Q.今日の走りを振り返ると?
徳本 監督から言われた設定タイムより40秒も悪かったんです。練習に不安があったし、走れなかった原因もわかっています。ニューイヤー駅伝までには、課題を克服したいと思います。
Q.アジア大会の疲れとかは?
徳本 気持ち的には一度、切れかかっていましたが、東日本があるから無理やり持ってきました。そういった経緯を差し引いても、今日はちょっと悪かったですね。
Q.駅伝は箱根以来?
徳本 トラウマがになっていて、5kmくらいからきつくなってしまいました。自分の中で駅伝のイメージがどんどん悪くなっていって、このままではダメかとも感じてしまいました。しかし、チームの優勝をきっかけとして、駅伝でもしっかり走れるようにしたいと思います。全日本は一暴れも二暴れもしたいですね。
Q.箱根の予選会の時、ニューイヤー駅伝で結果を出さないといけない、と話していましたが?
徳本 箱根から1年という部分が大きいです。自分は箱根に出て取り返すことができませんから、ニューイヤー駅伝が僕の中の箱根なんです。しっかり走って、後輩たちを元気づけたいですね。同じ時期の駅伝で、やり残したことをやらないと。でっかいことをやりますよ。

野口英盛(富士通)
まさかの区間27位
「原因不明の不調」はメンタル面が…?


 “まさか”と周囲がビックリさせられたのが、東日本実業団駅伝の野口英盛(富士通Bチーム)の不調だった。3区で14位から21位に順位を落とし、区間順位は27位。区間1位からは6分49秒も遅れたのだ。不調という、ありきたりの表現では言い表せないような走りだった。
「原因不明の不調なんです。疲れ系統の不調なのか、気持ち系統の不調なのか…。確かに、タメがない状態だったのに、入りの1kmを2分40秒で入ったのが、よくなかったのかもしれません」
 それにしても、区間賞から7分近く悪いというのは、いくらオーバーペースで入ったとしても、遅れすぎである。チームメイトはAチームでなかったことと、オーバーペースで入ったこと、風が強かったことが重なったからではないか、と分析しているらしい。ということは、多分にメンタル面の要素があるということか。
 だが、筆者には昨年まで順大の長距離主将を務めた野口は、メンタル面が強いイメージがあった。岩水嘉孝(トヨタ自動車)の箱根駅伝出場が危うくなったとき、「岩水のマイナス分は、自分が走りで取り返す」と言い切った。箱根駅伝終了後に気が抜けてしまう学生選手が多いなか、2月の丸亀ハーフマラソンで好走し、3月のびわ湖マラソンでは2時間11分20秒と順大最高記録で走って見せた。5月の世界ハーフマラソン選手権にも出場。「その辺の選手とは違う」という印象を、関係者に十二分にアピールした。
「5月のゴールデンゲームズくらいまではよかったんですが…。9月に練習できたので試合に出たらダメで、1カ月休んで、10月後半から走り始めた感じです。1週間前に5000mを14分20秒で走れていたし、前日の2000mの刺激も5分38秒と悪くなかったんです」
 首を傾げる野口。
 2週間後の国際千葉駅伝に急きょ出場することにしたのは、ニューイヤー駅伝への選考レースと位置付けていた11月30日の1万m記録会(日体大)に向け、「気持ちのもやもやを取り払おう」という狙いだった。もちろん、ナショナルチームではなく、千葉県選抜チーム。今回の千葉県選抜にエリート選手は野口以外いない。どう見てもテンションを上げるのは苦しい。東日本実業団駅伝のBチームと、似通った状況といえた。野口が出場したのは1区10km。下りが多く、トラックの1万mよりもいいタイムを出せるコースだった。
「5km通過が13分台だときつくなりますが、14分10秒くらいだったら無理しても付いていって、バクっても29分10秒くらいでまとめたい」
 レース前日にこう話していた野口。全盛期を考えたら控えめな目標だが、その時点での野口としたら、それが精一杯といったところ。翌日のレースでは、どこで集団から遅れたのかは不詳だが、10kmを目標通りに29分11秒でまとめた。清水将也(日大)が28分19秒で走っているだけに、お世辞にも褒められた結果ではないが、どん底の状態からは上向いたと判断できた。
 だが、結局のところ、日体大記録会には出場できず、富士通のメンバーに入ることはできない。このまま、(おそらくメンタル面に起因する)不調が続くようなら、1年前に野口がアピールした好印象はゼロに戻ってしまう。そんなことはないと、個人的には思っている。繰り返すが、それほど箱根駅伝・丸亀ハーフ・びわ湖マラソンと好走を続けた野口は、すごいと感じた。


寺田的陸上競技WEBトップ