2002/12/1 福岡国際マラソン
尾方のレース2時間15分後会見
その3
「大学時代のストレスは、現実とのギャップが原因」
「やめることは考えませんでした。やめたら人生の敗者になってしまう」

Q.無毛症になったストレスというのは、高校時代に渡辺康幸選手と競り合って、国体1万m2位になったプライドの高さが原因だった?
尾方 箱根駅伝で(2年時に)アンカーを走って、自分はただ走ったら優勝メンバーの一員になれただけなんですが、周りの反応というか、メディアの反応がすごくて、持ち上げられて、それで図に乗って天狗になっていたんだと思います。箱根が理想の走りだったわけではありませんが、練習しても考えている走りができず、周りが期待して見る目もあって、そのジレンマ、ギャップの大きさでストレスになっていました。
Q.そのとき、やめようとは考えなかった?
尾方 やめることは考えませんでした。やめたら、それまでやってきたことが無駄になってしまうと思いました。支えてくれる人たちもいましたし、その人たちのためにもやめちゃいけないと。そこでやめたら人生の敗者になってしまう、社会復帰できないんじゃないか、と思っていましたから。監督にやめろと言われるまで、走ろうと。
Q.坂口監督には、やめろと言われたのでは?
尾方 上田(誠仁)監督(山梨学大)からは、言われなかったんです。坂口監督には言われましたけど(笑)。
Q.故障もストレスの原因だった?
尾方 原因の1つでした。脚全体というか、ヒザも脛の疲労骨折もやりましたし、足の裏もやりました。大学1年の時も故障しましたし、3・4年もしていました。それが、ストレスになっていたと思います。
Q.(質問不詳)
尾方 よくやってきたとは思いませんが、やってきてよかったとは思います。
Q.練習を違うパターンでやって…(質問不詳)。
尾方 ニュージーランドでは45kmまでだったのを50kmに増やしたり、インターバルのセット数を増やしたり、設定タイムも上げたりしました。でも、それは(チームの)みんな一緒です。合宿はみんな、一緒のメニューなんです。距離走だったら、30km走をマラソン組は40から45kmになったり、インターバルのセット数が多かったりはしますが。


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