2002/12/1 福岡国際マラソン
尾方のレース2時間15分後会見
その2
「ロンドン(の失敗)は、ああいうレースができてよかった」
「入社当初、監督に怒られたから走れるようになった」
Q.ロンドンでは世界最高ペースに半分しか付いていけませんでしたが…。
尾方 スピードである程度押していけるだろうと思っていましたが、持久的なスピードがなかった。“内上がり”をしたらもう走れない状態になってしまって、その辺を強化してきました。
Q.(質問不詳…というか、忘れました)
尾方 レース展開がああなるとは、思っていなかった部分もありました。ゲブルセラシエ(エチオピア)ともう1つの集団の設定が違っていて、後ろの集団は3分ペースだと知らされていたので、それに付いて行ければと考えていました。ところが、その集団まで2分台で行ってしまって、戸惑いが生じました。監督には、イタリアのバルディニに付いて行けと言われていたんですが、その忠告を守らなかったのもあります。でも、ああいうレースができてよかったと思います。あれをやらないと、世界には通用しません。
Q.奥さんは何と声をかけてくれましたか?
尾方 お疲れさま、と。
Q.結婚が99年7月で初マラソンが99年12月。ターニングポイントとなった出来事なんでしょうか。
尾方 結婚してから弱くなった、と言われたくないですから。向こうに辛い思いをさせることになります。それがイヤで頑張ろうと思いました。いいキッカケになったと思います。
Q.坂口監督からきつい言葉を言われたときの心境は?
尾方 入社当初はまったく走れず、覇気がなかった。やる気はあったんですが、体が付いていかず、ホント“こいつ大丈夫かな”と思われたと思います。練習で監督と会うたびに色々と怒られて、すごくイヤでした。でも、やめようとは思いませんでした。何くそ、今に見ていろと。実業団の監督で、そこまで怒る監督はいないですから。すごく目をかけてもらったわけでもあるんです。それで、走れるようになったと思います。
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