2002/10/14 アジア大会
7日目(最終日)
日本男子マラソン、李の前に完敗
清水が銀、武井が銅

レース後の清水との一問一答
Q.7kmでは、給水を落としたカタールの選手とぶつかった?
清水 かなり痛かったですね。普通、止まらないですよね。
Q.遅れかけていたのは、痛かっから?
清水 そうですね。それに、李が仕掛けていました。あそこで少し離れても、別段、問題ないかなと。
Q.マイペースでいいと?
清水 勝負所は30kmかなと思っていました。20kmはまだ早いと。自分も思ったよりも動きが悪かったですね。
Q.力を使ってしまった?
清水 力を使わずにいくつもりでしたが…。今回は調子も完全には合わせられませんでした。(李に)もう少し、もう1回は追いつきたかったですね。
Q.15kmあたりで引っ張ったのは?
清水 止まるようなペースだったんです。そういう流れはあまりよくないと判断しました。でも、2回以上足を踏まれて、頭に来て後ろに下がりました。
Q.昨日、福岡国際マラソンで勝った高岡選手がシカゴで日本最高を出したのには、気合いが入りましたか。
清水 気合いということはなかったですけど、本当に素晴らしい記録ですから、アジア大会の男子も頑張らないといけない、なんとか李に食らいついていかないと、と思いました。
Q.李の揺さぶりはすごかった?
清水 あそこまで極端に揺さぶるとは思いませんでした。
Q.後半、1人になったときは?
清水 李が見えているときはまだ、追いつけると言い聞かせていましたが、35kmくらいから全然見えなくなってしまって…。
Q.満足度で言うと?
清水 色々と大変なB標準部分もあって、その中で1つの結果が出たことには、嬉しさも感じています。
Q.もしも金メダルなら、次につながったわけですが…。
清水 会社の方針は、僕が決めることではありません。帰ってから、ですね。
Q.ゴールの瞬間は、どんな心境でしたか。
清水 きつかったです。
Q.奥さんは沿道に?
清水 いえ、ずっとスタンドでした。
Q.応援団が沿道にいたと聞きましたが?
清水 韓国の応援がすごくて、わかりませんでした。沿道からの応援は本当にすごかった。僕のことまで応援してくれて、嬉しかったです。
Q.1人になったときは、苦しかった1人での練習のこととか思い出しましたか。
清水 李が見えているときは行こう、行こうと考えていました。見えなくなってフラフラになってしまったときは、1人で練習をやって、甘えた部分がが出ていたのかな?
Q.この冬、もう一度マラソンに出ますか。
清水 “金メダルが取れなければ引退”と報道されたこともありましたが、クラブチームとしてみんな、6時から練習もしていますし、ニューイヤー駅伝も目指しています。みんなと一緒に駅伝を頑張ろうと思っています。それに冬のマラソンも、もういいと言われても、区切りとして出場します。
Q.そこで優勝すれば世界選手権代表になる可能性もありますが。
清水 そうですね。勝って世界選手権に、というのが一番いいパターンですね。
Q.今の気持ちは、ホッとしたという感じでしょうか。
清水 たぶん、そうですね。1人でやってきたといっても、みんなに助けてもらってきました。メダルという形になり、みんなに恩返しというか、悪いなりに頑張れたと報告できます。
Q.奥さんには?
清水 いろいろと助けてもらったので、無様な走りはできないと思っていました。今晩会えると思うので、お礼を言いたいと思っています。

エスビー食品・瀬古利彦監督のコメント
「李は格が違った。このレベル(の記録のレース)なら、自由自在という感じ。(3位の武井隆次は)李の小刻みな揺さぶりにやられたという部分はあるが、あれでやられるようではダメ。力がないということ。優勝タイムは2時間11〜12分と想定して、その練習も積めてきた。このタイムのレースで勝負ができないんじゃあ、力がないとしか言えない。35kmとかで勝負したのではなく、20kmだからね。力がなかったということ。
(シカゴの高岡について)大したものだよ。あのフォームじゃ持たないと思っていたから。ものの見事に開眼したね。これからは最低6分台だね、ああいう記録を狙うレースでは。マラソンをやりながらトラックもできれば一番いい。まあ、最低でも(1万m)27分台で走っていないと、マラソンでも勝負にならない。でも、トラックだけじゃあスタミナができないけどね」


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