陸マガ前編集長・八田さんを送る言葉

 八田さん、覚えていますか、20年前を。僕がアルバイトで初めて陸上競技マガジンの編集部に行ったとき、最初に応対してくださったのが八田さんでした。そのときの笑顔は、今も鮮明に覚えています。あれから20年。お互い、本当に色々とありましたね。
 アルバイトだった頃はどんなに泥臭い作業でも、好きな陸上競技に仕事として携われて嬉しかったです。今も、その気持ちは変わりません。その頃の仕事はほとんど、野口さん(陸マガ元編集長の野口純正氏)と八田さんに教えていただきました。
 ベースボール・マガジン社の社員となって2年ほど別の部署を転々とした僕が、陸マガに配属となったのが87年11月。最初の出張は88年1月の全国都道府県対抗女子駅伝でした。一緒に京都まで行って、駅に着くとすぐに京都タワーに登りました。遊びじゃなくて、誌面掲載のために、市街の写真を撮るためでした……よね。
 それからの7年間は編集部で一緒に、とにかく突っ走った7年間だったと思います。お互い、かなり無茶な仕事ぶりだったんじゃないでしょうか。体調を崩す回数は、僕の方が多かったでしょう。そういえば、アルバイトの時代にもう、入院していましたから。今さらではありますが、本当にご迷惑をおかけしました。
 次の6年間は八田さんが別の部署に移られました。でも、陸上競技の試合には時間の許す限り顔を出されていましたね。情熱がないとできないことだと感じていました。96年の世界ジュニアでご一緒したシドニー、楽しかったです。シドニーでもなぜか、一緒にタワーに登りましたよね。
 八田さんが陸マガに戻って来られたのが2000年でした。僕は外部で行動できるフリーランスの道を選び、八田さんはその後編集長になって、対照的な立場となりました。今年の4月に神戸タワーに登ったのは、僕ひとりでしたから…。でも、20年間、お互いに陸上競技を愛し続ける姿勢は変わらなかったと思います。
 20年間、早かったですよね。だからリタイアされるのも、まだ早すぎますよ。八田さんが編集長をやめられたとき、「一度ゆっくり飲もう」と約束しましたよね。それもまだ、果たしていないままじゃないですか。
 僕との約束はどうでもいいのですが、これだけはお願いします。これまでと同じように、選手たちと、日本の陸上界を見守っていてください。などと言ったら「言われなくたって、そうするよ」と、怒られるでしょうね。「20年間、俺の何を見てきたんだ」って。
 じゃあ、こう言わせてください。「20年間、頑張りすぎましたよ」って。だから今は、安らかにお休みください。


2004年6月30日  ザグレブにて
元陸上競技マガジン編集部
寺田辰朗


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