ATSUYAなメール
その3
2001年11月26日
もしも私が西脇工へ進学していたら
寺田さま
ぜひ、神戸ハーフへお越しください。
皇司は8勝7敗で勝ち越しましたが、衣田の城西大は
負けちゃいました。残念です。でも、田上が最後に優勝
できてよかったです。
私はかつて、渡辺先生に「なぜ、勧誘してくれなかったのだ」
と尋ねたことがあります。すると、かの名伯楽は
「いやー、それは知りませんでしたー。そのときに大原さんを
誘っておったら今ごろは毎年のように優勝して、わたしは
田舎に帰って田んぼをやりながら悠々自適に過ごせたでしょうにー。
いやー、見る目がなかったんでしょうね。だから、こんなに
長く監督をやることになってしまったんでしょうねー」
と話しておられました。
もう気がつかれたかと思いますが、
私が西脇工で長距離をやらなかったからこそ、
渡辺先生は現在も監督して一線で活躍しておられるのです。
渡辺先生を田んぼに追いやらず、現場に押しとどめたのは、
なんと私だったのです。だからこそ、山口衛里も赤木も、
小島兄弟も石本も中尾も神屋も藤原正和も、それから、それから…
てなことはありません。すいません、またしょうもないことを
つづりました。
きょうは泊まりなので、そろそろ寝ます。
ロードシーズンもたけなわですが、お体に気をつけて頑張って
ください。
K新聞O原A也