ATSUYAなメール
その2
2001年11月23日
赤木選手のMIP、ありがとうございます

寺田さまへ

こんばんわ、大原です。
きょうは、寺田さんに一言、お礼を言おうと思っています。

今週のMIPに我が郷土・三木市の誇り、赤木純子を選んで
いただき、ありがとうございました。
三木市民8万人を代表して、心からお礼を申し上げます。
「選んでほしい」とメールを送ろうと思っていたのですが、
さすがは寺田さん。かつて、弟弟子の藤本俊之を
取り上げていただいたときに続いて、感謝の気持ちで
いっぱいです。

今、三木は活気にあふれています。
地元の三木高校野球部は近畿大会でベスト8に進撃、
来春のセンバツ初出場がほぼ確実視されています。
さらに、私と小学校、中学校の同級生である大相撲幕内の
皇司は勝ち越しまであと一歩。そして、赤木の快走。
国体では須磨学園の横山も競歩で入賞しました。
今や面倒くさくて年に2回くらいしか帰らない地元ですが、
「スポーツ不毛の地」に近かったので、喜ばしい限りです。
この勢いで、全日本大学女子駅伝では、城西大の
衣田選手が頑張ってくれると、何も言うことはありません。

ちなみに、西脇工が全国高校駅伝で報徳に1秒差で敗れた
翌年、V奪回に貢献した北門、陣在の両選手は、
私が三木中学校3年のときの1年です。
中3の冬に開催された「第1回三木山ふれあいマラソン」
の中学の部(確か3`)で、私は9位だったのですが、
そのときの10位が北門でした。当時、170a、52`で
根性があり、精神的タフさだけが売り物だった私が短距離
を捨て、西脇工で渡辺監督に弟子入りしていれば、
今ごろはこんなところで、こんなメールを書いていない
ことでしょう。浜矢くんや木戸くんとともに地元の63総体などで
活躍し、寺田さんから取材を受けていたかもしれません。
残念なことです。

朝からつまらないメールを書いてすみません。
きょうの千葉国際駅伝の記事を楽しみにしております。

それでは、また。

K新聞H総局   O原A也

※寺田による追伸というか補足
O原記者に電話をしたら、99年の箱根駅伝8区区間9位の
大坪隆誠(山梨学大)選手のことも載せて欲しいとのこと。三木北高出身で
高校時代は演劇部という異色選手だったとのこと。