スポーツ・ヤァ!No.035
2002NEW YEAR SPORTS PARADISE
箱根駅伝

「負けるわけがないチームだから走れた」

 喜びに沸く駒大の中で、エース神屋伸行(4年)だけは「不甲斐ない走りをしてしまった」と、自らの走りを嘆いた。
 神屋はちょっと変わった選手だ。各校のエースが集まる2区を3年連続で走るほどなのに、自身のことを「エースなんかじゃありません」と、きっぱり否定する。
「自分は駅伝よりもマラソン」「チームの輪の中心にいたのは(キャプテンの高橋)正仁で、自分は輪の外だった」等々。2区を外してほしいと、大八木弘明コーチに言い出したこともある。「松下が上り調子だし、自分が9区で正仁が10区なら5分差でも逆転できる」と。
 タスキを受けたのは、トップと27秒差の13位。大八木コーチの当初の計算からはオーバーしていた。次々に前の走者を吸収した神屋が引っ張る7人は9`で先頭に追いつき、トップ集団は11人に膨らんだ。その後待ち受けるのが14`地点から、約1.5 `ほど上りが続く難所、権太坂である。「上りは得意」と言う神屋は、過去2回はそこで仕掛けてきた。それが11`過ぎで集団から遅れ始め、権太坂ではさらに後退して単独11位にまで落ちてしまった。
「本来、自分の長所を発揮する場所なんです。そこでズルズル離されるなんて考えられなかった。きついわけではなくて、左脚に力が入らない。右脚だけで走っている感じでした。こんなに権太坂を長く感じたのは初めてですね。泣きそうでした。駅伝でなければ、やめていたと思います」
 今年の2区は波乱続きだった。当初2区を走る予定だった順大のエース岩水嘉孝が欠場。トラックでは日本人学生選手間で無敗を誇った徳本一善(法大)は、右ひふく筋(ふくらはぎ)断裂で途中棄権した。
 集団の前方にいた神屋は、同じ集団にいた徳本の異変に気づかなかったという。

※神屋自身も10.5km付近でアクシデントに襲われてしまったが、それをいかに乗り越えたのか。続きは1月10日発売の「スポーツ・ヤァ!035号」(角川書店刊)をご購読ください。