マラソン
若手が育つ環境

大阪国際女子マラソン

オリンピアン2001年3月号

 20km過ぎの折り返し点を通過し、御堂筋を北上しながら渋井陽子は徐々に、E・アレム(エチオピア)を引き離し始めた。アレムはシドニー五輪6位の選手で、今大会一番の実績と記録(2時間24分47秒)の持ち主だ。
「特にスパートしたわけじゃないんです。あそこは自分のリズムに乗れていたので、そのまま行っただけ。アレムさんですか? 特に怖いとは思いませんでした」
 20kmまでの各5kmは16分40秒平均で進んできた。中間点の通過は1時間10分21秒のハイペース。このとき、下手に自重しなかったのがよかった。初マラソンということで慎重になり過ぎると、「実績のあるアレムさんに付いていこう。彼女以上のペースで行ったら後半潰れるのではないか」とか、「世界選手権に出るための条件である2時間26分未満を出すためには、もうちょっと抑えた方がいい」とか考えがちである。
 その点、渋井の性格は「行け行け」タイプ。鈴木秀夫監督が初めて渋井を見た高校2年の頃から、その性格が走りに如実に現れていたという。この、物怖じしない渋井の性格が、2時間23分11秒の初マラソン世界最高記録を出す一因となった。
 だが、今回の快走の原因を、渋井の性格だけに求めてしまったら、かなり乱暴な見方になる。三井海上というチームが培ってきたマラソン練習のノウハウと、渋井の性格を見抜いた鈴木監督の適切なコントロールがあってこその好結果だったはずだ。
 レース前、渋井と鈴木監督は3段階の目標タイムを設定していた。まずは初マラソン日本最高記録の2時間26分26秒を破ること。次は2時間25分59秒以内で日本人トップという、日本陸連が決めた世界選手権代表内定の基準をクリアすること。そして、最高の目標が同じ三井海上の土佐礼子の自己記録、2時間24分36秒を1秒でも上回ることだった。
 土佐は昨年11月の東京国際女子マラソンでは前述の陸連設定条件をクリア、世界選手権代表第1号となった選手だ。その土佐が、昨年3月の名古屋国際女子マラソンで高橋尚子(積水化学)に続いて2位となったときに出した記録が2時間24分36秒。土佐は松山大3年時にマラソンを一度走っているが、当時は本格的なマラソン練習を消化していなかった。三井海上としては、土佐のタイムが初マラソン日本最高という認識に近かったのだ。
 その土佐の練習パートナーとして、昨年夏のボルダー合宿(アメリカ・標高約1600m)や秋の昆明合宿(中国・同1900m)に渋井も参加している。土佐がどんな練習をこなしてマラソンで結果を出したのか、肌で感じていた。渋井は11月〜12月に昆明に行き、いったん帰国して全日本実業団駅伝に参加(3区区間賞)後、12月〜1月と再度昆明で合宿。今度は渋井が土佐をパートナーとして、初めてのマラソン練習をこなした。
「土佐は前半抑えて後半を上げるのに対し、渋井は前半から速めに入るなど、内容は少し違うんですが、40km走のタイムなんか、平地でも高地でも、渋井の方が上回っています。走り終えると『おっ、土佐のタイムよりいいぞ』って声をかけるんです」(鈴木監督)
 知らず知らずのうちに、渋井はマラソンでも土佐と同等か、それ以上の記録を出せると考え始めていた。東京のコースは前半に下りがあるが、土佐は10kmまでの5km毎を16分30秒台で入っている。その土佐を普段の練習中、特にスピード練習では置き去りにしているのが渋井なのだ。
 今大会を前に、もしも誰もレースを引っ張らなかったら「16分50秒で5kmを入ろう」と鈴木監督が言い出しても、「16分50秒でいいんですね?」と、渋井はプレッシャーを感じる風もなく問い返してきたという。もしも、土佐との練習をしていなかったら、渋井がここまでの意識になることはあり得なかった。
 35km以降はさすがに減速し、渋井は「地獄を見ました」と振り返る。レース後、鈴木監督は「世界選手権は記録も順位も求められるレース。今日の展開を見ると、ハイペースになったら勝つところまではいかないのでは?」と話していたが、レースから一夜明けると「35kmまではすべて16分台のスプリット。しかも自分1人でペースを刻んでのもの。最後が落ち込まないような練習をこれからこなせれば、金メダルも狙える」と、目標が大きくなった。
 今回の目標も、「実は土佐さんのタイムよりもずっと上を狙っていた」とレース後に渋井が言えば、鈴木監督も「練習から2時間22分30秒くらいは出ると思っていたが、お互いに欲を隠していた」と、本心を明かした。
 土佐が名古屋で走るときは、彼女の控えめな性格を考慮して主催者からの招待を断ったという。招待選手になると、グレードの高いホテルに泊まり、レース前にマスコミの取材を受けたりする義務が生じるのだ。だが、渋井の場合は「周囲が盛り上がると本人も乗るタイプ」ということで、招待を受けて取材にも積極的に答えた。
 一夜明けの記者会見で初めて世界選手権の“金メダル狙い”を聞いた渋井だったが、「狙えるようなら狙いたい」と、すぐに反応した。渋井をその気にさせる、鈴木監督の戦略がすでにスタートしたようだ。

<プロフィール>
しぶい・ようこ。1979年3月14日生まれ、O型。栃木県黒磯市生まれ。厚崎中から陸上を始め、那須拓陽高時代にはインターハイ3000m5位、全国高校駅伝1区3位とトップレベルに成長。97年三井海上入社。2年半は目立った成績を残せなかったが、2000年1月の全国都道府県対抗女子駅伝9区で区間賞を取って波に乗った。昨シーズンは1万mで兵庫リレーカーニバル2位、駅伝では東日本実業団、東日本女子、全日本実業団と10km区間でいずれも区間1位でチームの優勝に貢献した。
164cm、48kg。