某スポーツ紙2000年9月8日
“メダルはいらない!?”
室伏の自己記録達成率と本番成績
室伏広治(ミズノ)が今年5月に日本人初の大台突破となる、80b23を記録した。その際の報道で「アトランタ五輪なら銅メダルに相当」「昨年の世界選手権なら銀メダル」というものが多くあった。だが、条件の違う過去の国際大会の記録と単純に比較して、“メダル候補”と喜んでいいものだろうか。
表1を見てほしい。室伏の父・重信氏がミュンへン五輪に出た当時の自己記録(=日本記録)は71b14。その年の世界ランキングで25位。当時は、ランキング上位にソ連や東ドイツの選手が大量にいたため、オリンピック方式で1カ国3人に限定すると1*位となる。室伏が今年、現時点で10位だから、ほぼ同じレベルと見ていい。重信氏は五輪本番で70b88と当時の自己ベストに対して99.63%の記録を投げて8位だった。
同様に、その後の室伏親子の成績を見ると、99%以上の達成率の投てきを行えば、室伏の97年の世界選手権のように合格点といえる順位になる。だが、95〜96%の記録では、昨年の世界選手権のように不本意な結果に終わっている。
シドニー五輪の入賞ラインは77b50前後と予想され、室伏は96.20%の記録達成率で入賞できる。仮に、重信氏のミュンヘン同様99.63%の力を出すことができれば80b26。メダル獲得のボーダーラインと目される記録だ。
だが、表2のようにアトランタ五輪入賞者で99%以上の記録を投げたのは、銅メダルのクリキュン1人だけ。世界のトップスローワーにしても、99%は容易な数字ではない。
そのために、室伏親子が心がけていることがある。それは「メダルを取ろうという話はまったくしない」(重信氏)ことだ。
これは、ハンマー投という種目の特性を考えた結果だ。アトランタ五輪の男子100 bと200 bで世界記録が出たように、短距離やハードル種目は“ここ一番”の緊張感の伴う大舞台でも記録が出る。一方、表2からもわかるように、ハンマー投など投てき種目は、五輪で自己記録を更新する選手はめったに出ない。
「“メダル、メダル”と口にして発奮材料にする種目もありますが、ハンマー投は違います。会心の一投が試合中に出ることは稀なのです。その場に立ったときの心理状態で、動きがガラッと変わってしまうのです」と重信氏は説明する。
過去3回のオリンピックを経験し、徐々に達成率を下げてしまった重信氏。その失敗から、大舞台で力を出し切ることの難しさは痛感している。1%、100分の1の力を発揮できるかできないかで、順位が左右されるのが五輪という場。
絶対に“メダルを狙ってはいけない”のである。
表1 室伏親子の国際大会成績と自己記録に対する達成率
選手 |
年 |
場所 |
大会 |
順位 |
記録 |
達成率 |
自己ベスト |
室伏重信 |
1972 |
ミュンヘン |
五輪 |
8 |
70.88 |
99.63 |
71.14 |
室伏重信 |
1976 |
モントリオール |
五輪 |
11 |
68.88 |
96.82 |
71.14 |
室伏重信 |
1984 |
ロサンゼルス |
五輪 |
予選落ち |
70.92 |
93.36 |
75.96 |
室伏広治 |
1995 |
イエテボリ |
世界選手権 |
予選落ち |
67.06 |
94.42 |
71.02 |
室伏広治 |
1997 |
アテネ |
世界選手権 |
予選通過 |
75.28 |
99.97 |
75.30 |
室伏広治 |
1997 |
アテネ |
世界選手権 |
10 |
74.82 |
99.36 |
75.30 |
室伏広治 |
1998 |
バンコク |
アジア大会 |
1 |
78.57 |
100.20 |
78.41 |
室伏広治 |
1999 |
セビリア |
世界選手権 |
予選落ち |
75.18 |
95.68 |
78.57 |
室伏広治 |
2000 |
ブダペスト |
国際競技会 |
1 |
80.38 |
99.78 |
80.56 |
表2 アトランタ五輪入賞者の記録と自己記録に対する達成率
選手 |
年 |
場所 |
大会 |
順位 |
記録 |
達成率 |
自己ベスト |
キッシュ |
1996 |
アトランタ |
五輪 |
1 |
81.24 |
98.40 |
82.56 |
ディール |
1996 |
アトランタ |
五輪 |
2 |
81.12 |
98.33 |
82.50 |
クリキュン |
1996 |
アトランタ |
五輪 |
3 |
80.02 |
99.58 |
80.36 |
スヴァラク |
1996 |
アトランタ |
五輪 |
4 |
79.92 |
97.80 |
81.72 |
ヴァイス |
1996 |
アトランタ |
五輪 |
5 |
79.78 |
96.30 |
82.84 |
コノヴァロフ |
1996 |
アトランタ |
五輪 |
6 |
78.82 |
98.95 |
79.66 |
アスタプコビッチ |
1996 |
アトランタ |
五輪 |
7 |
78.20 |
92.41 |
84.62 |
アレイ |
1996 |
アトランタ |
五輪 |
8 |
77.38 |
94.37 |
82.00 |
表3 バルセロナ五輪メダリストの記録と自己記録に対する達成率
選手 |
年 |
場所 |
大会 |
順位 |
記録 |
達成率 |
自己ベスト |
アブドゥヴァリエフ |
1992 |
バルセロナ |
五輪 |
1 |
82.54 |
98.90 |
83.46 |
アスタプコビッチ |
1992 |
バルセロナ |
五輪 |
2 |
81.96 |
96.86 |
84.62 |
ニクリン |
1992 |
バルセロナ |
五輪 |
3 |
81.38 |
96.33 |
84.48 |
軽量補う「倒れ込み」
ハンマーを63b投げた場合、約350`の張力がかかっているというデータがある。80bの記録なら400`以上かもしれない。大相撲の力士3人分の重さを、体重90`の室伏が回転することで支えているのだ。
人より遠くに飛ばすには、この重さを支えながら、さらに回転スピードを上げる必要がある。そのためには最適な回転半径を保ち、より長い時間、ハンマーに力(加速)を与えられる姿勢を、高速回転中にとらなければならない。
室伏が一昨年から取り組んでいる技術に、“倒れ込み”と呼んでいるものがある。回転中にタイミングよく後方に体重をかけて倒れ込むもので、重信氏によれば世界的にも誰もやっていない技術だ。
この倒れ込みを行うことで、回転半径も大きくなれば、ハンマーへの加速もスムーズになる。1つの技術が、いろいろな局面に密接に影響してくるし、複雑な動き・技術が複合して、初めてまとまった投げが可能になる。
そのためにも練習で繰り返し投げ込むわけだが、練習中に新しい発見があると、そのためにウエイトトレーニングのポイントを変えることすらあるのだ。
そんな試行錯誤を何百回と行って、自分の投てきを確立させていくのである。