B.B.MOOK「マラソン最強伝説」
これを知れば10倍楽しくなるマラソン雑学

●テレビ中継を見る前に
 テレビ中継されるマラソンのスタート時間は、大半が12時から12時30分だが、それまでに準備することはないのだろうか。その日のマラソンをより面白く見るために……。もちろん、ある(からこうして原稿を書いているわけだが)。中山竹通はソウル五輪の選考会だった87年の福岡国際を振り返り、「瀬古(利彦)さんにプレッシャーをかけるために夏の1万mで瀬古さんの日本記録を破っておいた」と言った。勝負は何カ月も前から始まっているのだと。つまり、各選手の最近の戦績を知っておけば、その日のレースに臨む選手の戦略がある程度わかる(かもしれない)のだ。
 では、そのデータはどこで集めたらいいのだろうか。
●主催新聞は観戦の強い味方
 日本のマラソンは必ず、主催者・後援者に新聞社とテレビ局が名を連ねている。シドニー五輪の選考会に指定された6大会だったら次のようになっている。
東京国際女子(11月中旬〜下旬開催):朝日新聞・テレビ朝日
福岡国際(12月上旬開催):朝日新聞・テレビ朝日
大阪国際女子(1月下旬開催):産経新聞・関西テレビ
東京国際(2月中旬開催):読売新聞・日本テレビ
※奇数年は産経新聞・フジテレビ
びわ湖(3月上旬開催):毎日新聞・NHK
名古屋国際女子(3月中旬開催):中日新聞・東海テレビ
 今回くらいマラソン選考レースが世間の注目を集めると、どの新聞も注目選手は大々的に報道するわけだが、招待選手全員のプロフィールや戦績なんてものになると、やはり主催・後援新聞が詳しい。当日だけでなく、レース前数日分を入手しておけば完璧だ。
 新聞を入手できない場合は、インターネットだ。ほとんどの主催者が大会のホームページを持っている。所属する実業団チームがホームページを持っていて、その選手の情報を公開していることもある。なかには自分でホームページを持っている選手もいるぞ。
●ラビットとは?
 さて、レースが始まった。注目の選手の調子はどうなのか、気になるところだ。肌の張りや艶、視線や表情からその日の調子がわかる……なんてことはあり得ない。なぜなら、マラソン選手は走る練習だけでなく、調子の悪さを隠す練習をしているからだ(半分冗談、半分本当)。
 などと思案を巡らしているうちに、2人の外国選手が集団のトップを引っ張っている。これが近年“常識”となっているラビットだ。彼らの顔をよーく見てほしい、ウサギに似ているはずだ。これは冗談。元々ドッグレースでウサギを犬の前に走らせることに由来している言葉だが、要するにペースメーカーのこと。有力選手に記録を出させるため、自らは犠牲となって記録を出しやすいペースでトップ集団引っ張る選手のことだ。ペースが乱高下するようだと、レースを台無しにしてしまう可能性すらあるから、重要な仕事だ。もちろん、タダでは引き受けない。立派なビジネスなのだから。
●スプリットタイムの目安
 このラビット、いったいどんなペースで先導してくれるのだろうか。マラソンでは5km毎のスプリット(分割)タイムが計時される。男子では5km毎を15分00秒で走り切れば2時間06分36秒となる。つまり、日本最高(2時間06分57秒)を狙うには最適のペースだ。参加メンバーの顔ぶれにもよるが、だいたい15分00秒〜15分10秒の間でラビットは先導する。
 女子は5km毎を16分50秒ならば2時間22分04秒。日本最高は高橋尚子(積水化学)の2時間21分47秒だが、これはおいそれと出せる記録ではないということで、16分50秒から17分10秒あたりとなる。
 だが、レースは生き物。計算通りに進まないことも多い。1つは風や気温などの物理的な影響、もう1つは選手の能力が計算以上に高かったときだ。事実、今年3月の名古屋国際女子では高橋尚子が後半ペースを上げ、3分01秒(5km当たり約43秒)も前半より速く走っているのだ。
●給水の中身は?
 さて、レースも中盤にかかると給水を行う選手が増えてくる。ところで、ご存じだろうか。給水の目的が3つあることを。
 冬場のマラソンでは発汗量が比較的少ないため、レース前半では糖質を多く含む飲料(グリコーゲン主体のスポーツ飲料や、砂糖や蜂蜜を加えた紅茶)を飲み、後半のスタミナ切れに対処する。
 逆に、レース後半で糖質を摂っても、吸収が遅いため効果が現れるのはレース後。一方で水分の失われる量が多くなるので、吸収の速く冷たい飲料(電解質主体のスポーツ飲料や水)を飲む。
 3つめの目的は、主に夏場のマラソンにおいてだが、直接体にかけて熱のこもった部分を冷却することだ。
 あとは気持ちの切り換えなどの精神的な理由で、自分の好きな飲料を置いている選手もいる。テレビを見てもスペシャルドリンクの中身まではわからないが、主催者が用意したゼネラルを取ったのなら中身は水なので、その選手の状態や戦術がわかる。もちろん、単にスペシャルを取り損なっただけかもしれない。
●なんで42.195kmなのか?
 レースはもうすぐ中間点「20kmの通過が1時間ちょうど、後半も同じペースで走れば40kmで2時間ちょうど、残り2.195kmは何分で……ああ、こんな端数がなければフィニッシュタイムの予測が簡単なのに」とは、誰もが思うこと。
 マラソンの起源となったマラトンの戦いの故事はよく知られているが、古戦場からアテネまでが厳密に42.195kmであったわけではない。オリンピック初期の頃は、距離はまちまちで、マラソンの記録は比較しようとも思わなかったらしい。しかし、それではいけないと、第4回ロンドン五輪(1908年)の時に実施した42.195kmに、第8回パリ五輪(1924年)から固定したのだ。
 では、なんで40kmではなく42.195kmなのか。これには多くの説があり、真実は定かでない。マイル制のイギリスが26マイル(41.834km)にしようとしたが、イギリス王室関係者が見やすいようになんとか城のどの部分の前を走ったため伸びてしまったとか、それをパリ大会で固定するときも、英仏間の勢力争いがあったとか……。もう、どうでもいいような理由なのだが、かれこれ75年もこの距離でやってきたのだから、今さら変えるわけにはいかないだろう。
●“世界最高”の定義とは?
 レースは終盤。優勝争いの行方もほぼ見えてきた。記録も良さそうだ。世界最高には1分ほど届きそうにないが……と、その時、「世界最高が出るぞ!」と、沿道で叫んでいる人物がいる。ここはイギリスの首都ロンドン(いきなりの場面転換)。ロンドンの時計は進のが遅いのだろうか。
 もちろん、これにはわけがある。ロンドン・マラソン主催者は男子選手が伴走できる男女同時スタート、追い風が有利に働く片道コース、傾斜率が0.1 %以上のダウンヒルコースなどで出された記録は認めない、という姿勢をとっているのだ。このあたりはライバル関係にある大会(同時期開催のロッテルダムやボストン)の価値を下げようとする戦略だが、その見解をとると女子の歴代上位記録の多くが条件不備の記録になり、昨年のロンドン優勝記録、2時間23分22秒が世界最高となる。
 日本のマラソンはほとんどが発着点が一緒で、男女同時スタートでもないためロンドンから文句の出る筋合いはない。というわけで、昨年の東京国際女子で山口衛里(天満屋)がロンドンの持つ“世界最高”を更新したのだった。
●レース後のお楽しみ
 レースが終わった。さっそくお立ち台でインタビュー。選手の“キャラ”が見え隠れするところだから見逃してはいけない。
「ケイコー、頑張ったよー」
 87年の東京国際優勝後、テレビ観戦の妻に向けて発した谷口浩美(旭化成)の一声は、アナウンサーの誘導質問の結果とはいえ、強烈なインパクトがあった。谷口といえば、バルセロナ五輪で転倒しながらも8位に入賞したときの「コケちゃいました」は、まさに一世を風靡した。
 有森裕子(リクルート)のアトランタ五輪での「自分を褒めてあげたい」も、その年の流行語となった。谷口と有森はともに日体大出身。この大学にはコピーライター養成講座があるのだろうか。
 外国選手の受け答えも面白い。
「招待してくださった関係者の皆さん、ありがとうございます」
 ずっとニコニコしながら、レースのことより関係者へのお礼ばかり口にしていたのは、今年の東京マラソン優勝のコスゲイ(ケニア)。きっと律儀な人柄なのだろう。お金をたくさん出してくれる日本人へのゴマスリ、ではないと思う。