陸上競技マガジン2014年4月号
マラソン特別企画
マラソンに経験は必要か
初マラソンから快走するアフリカ勢。日本はどうアプローチするべきか

 1月のドバイ・マラソンの衝撃は大きかった。優勝したツェガエ・メコネン・アセファ(エチオピア)の2時間04分32秒は初マラソン世界歴代3位。世界記録の2時間03分23秒に1分09秒と迫る歴代11位の記録だった。驚くべきはアセファの18歳という年齢で、ジュニア世界最高を1分35秒も更新した。ケニア、エチオピア勢は若く、マラソンの経験がなくとも結果を出す(表1、表2参照)。日本も同じように若いときから結果を出さなければ、アフリカ勢と戦えるようにならないのではないか。疑問も交じえた期待に、日本のマラソン界はどういうアプローチでアフリカ勢と戦っていこうとしているのだろう。

27分ランナー2人の初マラソン失敗
 10000mで27分40秒台前半の記録を持つ宇賀地強(コニカミノルタ)と宮脇千博(トヨタ自動車)が、1〜2月に相次いで初マラソンに出場した。2人が2時間7分〜8分台前半で走っていれば、アフリカ勢と同様に経験がなくても結果を出したことになる。特に宇賀地は、1年前からマラソン出場を意識し、予定した練習ができていた。結果も求めた初マラソンだった。
 だが、ドバイに出場した宇賀地は2時間13分41秒で16位、東京の宮脇は2時間11分50秒で15位。2人とも周囲と自身の期待を下回る結果に終わった。
 コニカミノルタの磯松大輔監督は失敗の原因を「まだ(最終的な)答えは見つかっていない」としながらも、以下の2点を検討しているという。
 1つはドバイのペースが予想を上回る速さだったこと。「速くても14分40秒」と考えていたが、5kmから14分10秒台に上がったことで、宇賀地は単独走を強いられた。
 もう1つは調整を高地のケニアで行ったこと。ケニア合宿は何度も経験があったし、ドバイとの時差もなくなるが、高地のため速いペースでの練習が不足しがちになる。レース本番のハイペースに対する不安材料となった。
「(14分台後半の)速いペースでも25km、30kmまでつく日本人がいる。そういうレースを誰かがやらないと、続く選手がいなくなってしまいます。30kmで離れても2時間10分前後で粘る走りができたらよかったのですが…」
 日本選手には難しい高速レースに挑んだ宇賀地だったが、ファースト・アテンプトは成功しなかった。
 東京マラソンの宮脇は23km付近で先頭集団から後れ始めた。15kmから腰にしびれが出て影響があったのは確かだが、それが決定的な要因とは考えていない。
「総合的な力がなかったということ。しびれがなくても、30km以降の優勝争いはできなかったと思います」
 ただ、宮脇の場合はそこまで完成度の高いマラソン練習を行って臨んだわけではなかった。トヨタ自動車の佐藤敏信監督によれば「6〜7割の練習。やりたいメニューはあったが、座骨(神経痛)が出るおそれもあったので、確実にできるところをやっていく」というスタンスで臨んでいた。
 宮脇本人も、悔しさをにじませながらも次につながると言う。
「マラソンは難しいのかもしれませんが、走ってみないことには難しさがわからない。課題も見つかりません。わかったのはマラソンを走るための力が全体的に足りないこと。練習のパターンを変えるのでなく、年間を通してマラソン練習をやり続けていくことが大事だと感じました」

確実に階段を上がる松村
 この冬のマラソンで躍進したのが、マラソン3回目松村康平(三菱重工長崎)だった。東京で2時間08分09秒、日本人トップの8位に。松村は宇賀地や宮脇のようにいきなりハイペースのマラソンには挑まず、表3のように大会のグレードを上げてきた。中間点通過は別大が1時間04分40秒、びわ湖が1時間04分09秒、そして東京が1時間03分05秒である。
 初マラソンが入社3年目の終わりと決して早くないが、「基礎体力や練習で見せる強さが、マラソンを(2時間10〜11分で)やるレベルに到達するのに必要な期間」(黒木純監督)だった。
 松村は40km走を、ある程度高いレベルで行うことができるタイプ。初マラソン時は4〜5本で、一番速いタイムで行う最後の1本は2時間11分台前半だった。2度目は7本で2時間10分台後半。3度目の今回は8本で2時間10分台前半だった。
 松村は3回のマラソン練習の印象を次のように振り返った。
「1回目はすべてがいっぱいいっぱいで、40km走もなんとか2時間11分という感じ。2回目は
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