陸上競技マガジン2014年3月号
ラストラン 特別インタビュー
赤羽有紀子、周平コーチ
2人で走り抜けた最高の9年間


●笑顔の引退レース
――タイムと順位の感想から教えてください。
有紀子 (直前に痛みも出て)本当に走ってみないとどれくらい走れるのかわからなかったので、とにかく先頭集団について行くことを目標に走りました。あと5kmまで優勝争いをしていましたから、欲を言えば勝ちたかったですけど、どちらも満足しています。
――離されても追いつく展開ができた理由は何だと思いますか。
有紀子 最後だからレースを楽しもうという気持ちが強かったら、離されても追いついて、という走りができたのだと思います。沿道からもたくさん応援していただいて、こんなにニコニコ笑って走ることができたのは初めてです。(周平コーチの声にも)力をもらいました。
――21年間の競技生活が終わった現在の心境はいかがですか。
有紀子 あっという間と言ったらウソになりますが、良いことも悪いこともあったなかで、最後にこうして皆さんに応援されて走ることができ、とても良い競技生活でした。今は本当にやり切ったな、という思いです。何日かしたら寂しくなるのかもしれませんが。
――夫妻で世界を目指しての9年間、優苗ちゃんも生まれての7年間を振り返って一番の思い出は?
有紀子 やはり出産して復帰したときです。復帰レースは記録会でしたが、そのあとの実業団女子駅伝を走ることができました。そのときは(1区)区間14位で落ち込みましたが、今思うと出産後4カ月でよくあそこまで走ったな、と思います。
周平コーチ 私は北京五輪です。2005年に夫婦でやるスタイルになって、出産もして続けると決めて、オリンピックを目標に頑張った結果、北京のスタジアムを5000mと10000mの2種目で走った姿が一番印象に残っています(表1参照)。
――夫婦でやってきて、今、お互いに対してどんな思いを持っていますか。
有紀子 夫と一緒にやるようになって、ぶつかることもたくさんありましたが、その都度話し合って、オリンピックに出場でき、世界選手権では5位に入賞できました。本当に幸せでした。感謝の気持ちを伝えたいですね。今までありがとう、と。
周平コーチ まずはお疲れさまと。2人でやり始めて最初の半年は上手くいかず、ここまで長く(一緒に陸上競技を)できるとは想像しませんでした。指導実績のない私を、よく信頼して付いてきてくれた。ありがとうという気持ちが一番です。

●“逆”だった最後のマラソン練習
――これまでは距離を踏んでからスピードを戻すマラソン練習でしたが、今回それを反対にした理由は?
周平コーチ 単純に、それしかできなかったからです。本人が大阪で引退すると決めて、昨年4月の時点で試合のスケジュールも決まりました。記録を狙う最後のマラソンは10月のシカゴで、その後は実業団選手として駅伝(11月と12月)もしっかり走る。本人は東日本女子駅伝(11月)も走りたい、全国都道府県対抗女子駅伝(1月)も走りたいと言います。
有紀子 マラソンで自己新記録を出したかったし、駅伝もしっかり走りたかった。ホクレンに恩返しがしたかったし、栃木県にもお世話になりましたから。
周平コーチ 駅伝のために30km以上の練習はいっさいやらない。思いきりスピードをやる。10月までマラソンのために距離を
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●故障で引退撤回の可能性も?
●生かされた過去の故障との戦い
●選手とコーチ。妻と夫
と続きます


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