大学駅伝2013-2014決算号
箱根の2区はエース区間だったのか?
10000m上位10人の平均タイムは1区、5区、2区の順に
戦力分散は“新時代”の象徴か?


「2区にエースが少なくなった」。こんな声が会場のそこかしこで聞かれた第90回大会。06年に5区の距離が23.4kmに伸び、近年は2区よりも5区がレースの流れを左右する度合いが大きくなった。それに加えて今回は1区にも、スピードのあるエースが多く集中した。長い歴史を誇る箱根駅伝で“花の2区”であり続けた区間の変化は、何を意味しているのだろう? そして、この傾向は今後も続くのだろうか。

●データで見る2区と5区と1区
 驚くべきデータとなった。
 区間毎に1万m上位10人の平均タイム、23人全員の平均タイム、そして各選手が1万mでチーム内何番目の記録を持つのかを調べてみた。その結果が表1から表3である。
 23人の平均タイムでは2区が依然としてトップだが、上位10人の平均タイムでは1区が4秒57も2区を上回った。そして5区も、わずか0秒04ではあるが2区よりも速かったのである。
 チーム内ナンバーワンの1万mタイムを持つ選手の数も、2区が7人で一番多かったが、1区にも5人、5区にも5人と分散していた。昨年は参加20校だったが、2区に11人と集中していた。今年の2区に対して「エース区間だったのか?」と疑問の声が挙がるのも当然だった。
「花の2区」と言われ始めたのは、23.7km(※)の最長区間となった61年以降。60年代は澤木啓祐(順大)、70年代は瀬古利彦(早大)と時代を代表する名ランナーが区間新の激走を見せた。83年に距離が現行の23.2kmと短くなったが、序盤の2区でリードを奪う鉄則は変わらなかった。各大学のエースたちがチームの勝利とともに、“20km学生最速”の座を懸けて走った。89年から留学生選手も加わり、スピード感あふれるレースが展開された。
(※)その後24.7km、24.4km、現行の23.2kmと距離が変更されてきた。
 その2区からエースが減った理由として、“山上り”重視の傾向が挙げられる。5区の距離が23・4kmに伸びた06年以降、昨年まで8回の大会で、5区で区間賞を取ったチームが優勝したケースが過半数の5回を占める。
 前回も2位の東洋大と3位の駒大は、5区で優勝した日体大・服部翔大(当時3年)に4分から4分半の差をつけられていた。今回も服部の5区が予想され、ライバルチームは対抗策を練る必要があった。
 以前は“山のスペシャリスト”の養成に力が置かれていた。平地区間では通用しないが、山上りなら強い選手が多くのチームに存在した。それが近年は、平地でも通用するエースを5区に起用するケースが増えている。5区で失敗したら5分以上のビハインドを覚悟しなければいけないからだ。
 27分台ランナーの設楽啓太(東洋大4年)やケニア人のダニエル・キトニー(日大2年)のほか、井上大仁(山梨学大3年)、柿原聖哉(神奈川大3年)と、平地でも区間賞争いが望めるエースたちが、5区に回ったのが今年の特徴だった。

●大迫が独走できない1区
 だが今回に関して言うなら、5区よりも1区にエースが多く回った。
 従来1区は“独走しやすい区間”と言われてきた。94年の渡辺康幸、翌年の中村祐二(山梨学大)、00年の徳本一善(法大)、07年の佐藤悠基(東海大)、そして3年前の大迫傑(当時早大1年)と最初から飛び出した例は多い。
 それが今年は、1万m日本人学生最高記録(27分38秒31)保持者となった大迫(4年)が、10kmを28分36秒というハイペースで入っても後続を引き離せない。それどころか最後は山中秀仁(日体大2年)、中村匠吾(駒大3年)らに後れを取ってしまった。
 スピードランナーの1区への集中を招いたのは、3区の可能性もあった大迫よりも、中村の存在だった。
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●“セット”の考え方でエースが分散
●“山の神”2人が5区を走れた背景
●選手層が厚くなったことによる変化
と続きます



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