陸上競技マガジン2013年4月号
びわ湖毎日マラソン
藤原正和
我慢、忍耐…ラストチャンスで10年ぶりの8分台! 魅せた“世界へ”の思い

勝負所に現れた“世界へ”の気持ち
 藤原正和(Honda)に10年ぶりの2時間8分台を実現させたのは、“世界へ”の変わらぬ思いだった。
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 2003年びわ湖で、初マラソン日本最高(学生最高)の2時間08分12秒を出したときも、33km以降にペースを上げた外国勢を最後まで追う積極性を見せた。「日本人1位ばかり狙っていたら、そのレベルで終わってしまう」。学生選手とは思えない意識の高さで、世界選手権代表を勝ち取ったのだった。

レースも練習も世界を意識
 藤原は10年間、ずっと低迷していたわけではない。悪天候で2時間12分18秒にとどまったが、2010年の東京マラソンに優勝している。その後の2レースで結果は出ていないが(表参照)、“世界へ”の挑戦は続けていた。
 東京から7カ月後のベルリンは、P.マカウ(ケニア)が
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 12年東京マラソンでは、ゲブルセラシエ(エチオピア)ら外国選手のために用意された速い設定のペースメーカーに、日本人でただ1人ついた。
 無謀だったとも指摘されたが、
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「この10年間を振り返ると、我慢、忍耐でやってきた感じです。マラソンでもう一度、花を咲かせたい。石にかじりついてもやろうと思ってきました」
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定番のセット練習も変更
 そのための1つの方法が、2日続けてポイント練習を行うセット練習で、
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 今回のびわ湖でもしも結果が出なかったら、世界への挑戦は断念するつもりだった。だが、びわ湖の女神は藤原を見捨てなかった。
 10年前はキャプテンを務めた中大のスタッフと学生仲間が支えだったが、今はHondaチームのサポートに、栄養面は奥さんが献身的に協力し、1歳3カ月になる長女が心の支えだ。
 競技への向き合い方、トレーニング方法、日常生活と、10年をかけて築き上げてきたものがある。10年ぶりの2時間8分台は、再び世界を目指すゴーサインとなった。
※この前後は陸上競技マガジン2013年4月号でご覧ください。


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