フルマラソンチャレンジBOOK2009
藤原 新
“センスでスタミナをつくる”独特のトレーニング
「距離走は半分、技術練習」と言い切る根拠は?


 40km走など、ロードでの距離走を繰り返すことで、外国勢に対抗する力をつけてきた日本のマラソン。走り込みを主体に練習することで、スタミナを養成してきた。だが、そのトレーニングが当てはまらない選手も、確実に存在した。前回の東京マラソンで日本人トップとなった藤原新(JR東日本)もそのタイプの選手。その特徴を明らかにすることで、新たなマラソン・トレーニングが見えてきた。

●無名選手の快走
 前回(2008年)の東京は“無名選手”の快走に沸き立った。
 大阪世界選手権銅メダルのロスリン(スイス)が32kmの茅場町でスパートすると、日本選手ではマラソン2回目の藤原新だけがそれに食い下がった。
 36kmでロスリンとギタヒ(日清食品)に引き離されたが、藤原の脚は止まっていたわけではない。ロスリンまでは無理だったが、36・5kmでギタヒを抜き去って2位を快走。
 ところが38km付近から、脚に痙攣を起こして転倒しそうになるシーンが繰り返された。無名選手の躍進もここまでか。誰もがそう思った。
 しかし、藤原は「ストライドを狭めてペースを落とす」ことで痙攣を克服した。
「痙攣していたのは地面をキックした後。空中でつるのなら、さっさと接地してしまおう、という意図です。場所も大腿だったらやばかったですけど、ふくらはぎの小さい筋肉の1本や2本、どうということはないと思っていきました」
 40kmまでの5kmは15分42秒。落ち込みを最小限にとどめ、2時間08分40秒の2位でフィニッシュした。アテネ五輪6位の諏訪利成(日清食品)に36秒差をつける健闘ぶり。北京五輪は結局補欠だったが、日本のトップレベルに堂々と仲間入りを果たした。
 レース後の会見で初々しい受け答えを見せた藤原だが、トレーニング内容については含蓄のあるコメントをした。
「12月いっぱいは駅伝のための練習で、マラソン練習は年が明けてから。距離走は40km走と45km走を1回ずつ。距離としてはそこまで順調ではありませんが、試合前の調子はうまく上げられました」
 距離走を、マラソンまで数カ月かけて繰り返すタイプではない選手が現れた。

以下
●藤原新という選手の特徴
●「故障をしているか絶好調か」だった学生時代
●初マラソン失敗の理由
●シカゴの失敗と、2度目のサブテン
と続きます

※この続きは2009年1月16日発売のフルマラソン・チャレンジbook 2009 でご覧ください。(←amazonで1500円以上購入するかプライム会員になると送料無料)


寺田的陸上競技WEBトップ