北京オリンピック スーパー観戦ガイド
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野口みずき
変わらぬ日々の鍛錬の先に見据える
史上初の五輪連覇

 テネ五輪から帰国した野口みずきは、何度も同じ質問を受けた。“金メダルを取ってどう変わりましたか?”と。それに対して野口は、同じ答えを繰り返した。
「金メダルを取っても、私は変わりません」
 表彰やイベントに出る回数が格段に増えたことで、スピーチは上達し、スーツの着こなしは洗練されていった。しかし、アスリートの根幹であるトレーニングは、以前と変わらず泥臭いものだった。
 朝食前の練習で約1時間走る。他の選手に比べればかなり速いし、起伏の激しいコースを多用する。昼食前には1時間ほど補強・ウエイトトレーニング。長距離選手で野口ほど真剣に行っている選手はいないと言われている。そして、夕方のメイン練習で走り込む。“走った距離は裏切らない”を信条とするだけに、妥協はいっさいしない。
 野口のすごいところは、この1日3回の練習を年間を通して行っているところだ。普通の実業団チームでは、合宿期間中しかできないだろう。体力的にもきついし、それを続ける精神力は並大抵のものではない。
 以前、2回連続のメダルを目指した選手が、こう言ったことがある。「山を登る大変さはわかっている。できれば同じルートは使いたくなかった」。その話を野口に振ると、次のような答えが返ってきた。
「私は嫌とは思いません。そのトレーニングがきついとわかっていても、そのきつさこそがやり甲斐を感じられるところ。馬鹿になれるからできるのかな(笑)」
 五輪後のマラソンは2回だけ。スタートから独走して日本記録をマークした05年ベルリンと、北京五輪代表を決めた07年東京国際女子。故障などもあり本数は少なくなったが、マラソンに至る過程でハーフマラソンなどのロードレースや、5000m・1万mのトラック種目には積極的に出場している。
 スター選手には調整不足で負けることを恐れ、レースへの出場回数が減少する傾向がある。相手が福士加代子(ワコール)らトラックの一流選手になると、野口も何度か敗れている。だからといって、自分の強くなったスタイルを変える気は野口になかった。

※この続きは2008年7月18日発売の北京オリンピック スーパー観戦ガイド でご覧ください。


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