潮2004年9月号
土佐礼子
条件が悪い方が自分にはプラスになる

 土佐礼子は“五輪代表になり何かが変わったか”と質問を受けた。代表に決まって4カ月弱、7月上旬の記者会見でのこと。
「特に、自分自身は変わらないですね。いつもと同じ昆明(中国雲南省の標高1900mの高地)で合宿して、いつもと同じように走って。変わりはありません」
 気負いがまったくない。本当に、世界のトップを争うアスリートなのかと、疑問に思ってしまう。それほど、のほほんとした答え方なのだ。普段の土佐は、そんな女性だ。代表を決めた3月の名古屋国際女子マラソンで、必死の形相で先行する田中めぐみを逆転した選手と同一人物とは思えない。そのギャップが彼女の魅力であり、強さの秘密でもある。
 名古屋のレース終盤で見せた表情は、“アテネへの執念”と世間には取られた。今回、その気持ちが強かったのは事実だから、間違いではない。だが、同じ必死の表情は、これまでも何回か見られたこと。01年にエドモントン(カナダ)で行われた世界選手権の終盤、シドニー五輪銀メダルのリディア・シモン(ルーマニア)と壮絶なデッドヒートを展開したとき。02年4月のロンドンマラソンで、独走するポーラ・ラドクリフ(英国)を追う集団を引っ張っていたとき。テレビには映っていないがきっと、学生時代の初マラソンも、高橋尚子に次いで2位となった00年の名古屋でも、同じような表情だったに違いない(大会の順位・記録は「マラソン全成績」参照)。
 練習中からそうなのだ。
「普段、練習を見ていても、どうしてあそこまで粘れるのか不思議に思える。35km走を一昨日やったが、残り8kmは泣きながら頑張っていた。それでいて、ペースが大きく落ちることもない」
 三井住友海上監督で、土佐を指導して5年目となる鈴木秀夫の証言である。必死の形相で限界まで粘ることは、土佐にとって“普通のこと”なのだ。

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