スポーツ・ヤァ! 008号
順天堂大VS駒澤大 箱根頂上決戦
取材:2000年11月下旬〜12月上旬

 坂井隆則が沢木啓祐監督から叱責を受けたのは、箱根駅伝翌日の1月4日だった。
 その日は例年、監督の自宅に選手・関係者が集まり、新年会を行うのが順大の恒例となっている。2年前は下馬評を覆して優勝した順大だったが、前回は駒大に敗れて2位。沢木監督は闘将と評される指導者である。手厳しい評価がくだされるものと選手たちは予想していた。
 だが、実際に発せられたのはねぎらいの言葉だった。優勝した前年より総合記録は上回っていた、スーパーエースの三代直樹(現富士通)が抜けた穴を埋めてみんなよく頑張った、相手(駒大)が強かった等々。そんな雰囲気のなかで、「お前は違うぞ」と指差されたのが坂井だった。
 前々日の1月2日、横浜市戸塚から平塚市までを走る3区に出場した坂井は、2位でタスキを受けた。同タイムで中継した駒大が背後にピッタリ付いている。法大が1分半前を走っていたが、その後の戦力を考えたら優勝争いとは関係がない。駒大に対してどう走るかが問題だった。
「10`を29分45秒で入ったんです。当時、自分の1万mのベスト記録は30分28秒02。地力がないのに飛ばしてしまいました」
 コースが最初2`ほど下りとはいえ、明らかにオーバーペースだ。しかも、ずっと駒大を引っ張る形になってしまった。17`付近から駒大・布施知進に引き離され、中継点までの4`で35秒(約200b)もの差をつけられてしまった。
「これまでの駅伝で一番の失敗です。30分ちょっとのペースで入っていたら、後半もまとめられたと思うのですが…」
 沢木監督の言葉は厳しかった。
「走りの内容が悪い。一流でない選手が、一流の走りをしようとした。力がないのに突っ込んでいったら崩れるのは当たり前」
 追い打ちをかけるかのように、「お前だけは次の日曜日に練習しろ」とまで。
 監督が本気で言っているのかどうか判断しかねた坂井だったが、帰省した選手たちが成人式の日に呼び戻された。その年、成人式を迎える坂井たちの学年で、箱根駅伝を走った5人の選手。
「どうして負けたのか、考えながら走れ」
 この5人こそ、今回注目されている3年生クインテットである。
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 今年の順大は高橋謙介がエースだが、3年生クインテットがそれに迫る勢いで、チーム内でもしのぎを削っている。4年生に高橋の他にも2人、優勝経験のある選手がいる。箱根駅伝は10区間。この8人の出場は確定的で、指導陣は残りの2枠を務める選手の養成に腐心している。だが、キャプテンの高橋は選手の立場として「8人が充実すれば、残りの2区間分はカバーできる」と意気込みを見せる。
 箱根駅伝は1区、2区、5区、6区、9区が“ポイント区間”といわれている。1、2区はいわゆる“駅伝の流れ”に乗る必要がある。どんな駅伝でも前半で上位に付けなかったら、ずるずると後方を走り続けてしまう危険性が大きいからだ。特に2区は各校のエースが集まる重要区間だ。
 5、6区は山登りと山下りで、タイム差がつきやすい。この2区間は純粋な走力の他に、登る走り方と下る走り方への適性が要求される。純粋に強い選手が起用されるとは限らない。いわゆる“スペシャリスト”の育成にどの大学も力を入れている。ここでヒーローが出たチームは勢いに乗ることが多い。9区は復路のエース区間と言われ、終盤までもつれたらアンカーまで勝負を持ち越さず、どのチームもここで決着をつけたいと考えている。
 さて、今回の順大の選手起用だが、エースの高橋でさえ「2区か9区だと思っているが、まだ決まっていない」と言う。クインテットの中から、2区を走る選手が出てくる可能性があるほど、3年生が力を付けているからだ。
 仲村明コーチ「(12月に入っても)2区と5区が決められないから、他の区間も決まってこない。1区は順位よりもライバル校とのタイム差が問題になりますが、ここにエース級を投入すれば、後ろに何十秒か差を付けることが要求されます。どの選手が配置されるかで仕事が変わってきます。
 2区でトップに立つのは理想ですが、2年前の三代の時のように、他大学のエースと比べても力のある選手がいることが前提になります。5区には、新戦力が出てきてくれれば一番いい形になるのですが。
 各大学とも狙った区間があると思うんです。勝負をする区間が。そこをどこにするかは、これからですね。奇策もありえますよ。2区で差がつかないと判断したら、2区を捨てるかもしれません」
 ポイントの5区間以外は“つなぎの区間”と言われる。通常の駅伝では、ポイント区間の距離が長く、つなぎの区間は短いのが普通だが、箱根駅伝は10区間全部が20`強と、距離的な差がない。終わってみたらつなぎの区間の差が勝敗を決することだってある。他校の戦力が薄くなるところに、エース級を投入する作戦をとることも可能なのだ。このあたりの采配の妙も、箱根駅伝の魅力になっている。
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 2年前、当時の順大1年生はマークされる存在ではなかった。4年生の三代直樹と2年生の高橋謙介が飛び抜けて強い、それだけのチームと思われていたからだ。確かにこの2人は2区と9区を区間新で走り、優勝の立役者となった。だが、急激に力をつけ始めた岩水嘉孝、入船満、奥田真一郎の1年生3人が好走したからこそ、2枚看板が活躍の場を得られた。
 1年後の前回、彼らは2年生カルテットと呼ばれていた。1年時は補欠だった坂井も3区を走ったが、カルテットとして名前が加えられたのは4区で区間賞を取った野口英盛。チームは2位と敗れたが、2年生4人の評価は高かった。同学年の4人に置いていかれた観のあった坂井だが、それほど悔しさはなかったという。
「自分は高校時代の実績もないし、持ちタイムも違うから」
 確かに、入船と岩水はインカレなどで上位に食い込み、他の大学ならエースになれる力がある。野口と奥田は箱根駅伝で区間賞を取っている。実績でははるかに上の選手たちだ。だが、それから坂井は変わった。
 叱責された日から10カ月。坂井は11月の全日本大学駅伝6区(12・3`)を走っていた。17秒差の2位でタスキを受け、駒大2年生の松村拓希に3`手前で追いつくと、4`付近で引き離し始めた。5`の通過は14分18秒。オーバーペースか。
「“速過ぎる、終わったな”と思いました」
 箱根駅伝の苦い思い出が脳裏によみがえる。しかし、本人の感覚とは逆に坂井は持ちこたえ、終わってみれば区間新の快走。この区間だけで駒大に2分差をつけ、初優勝の立て役者となったのだ。そして、レース前の沢木監督の指示も「前半からガンガン行け」だったという。それだけ周囲は坂井の実力アップを認めていたのだ。
「2年の始めに膝を手術した影響もあったのですが、意識も低かった。本人がこれくらいでいいと、思い込んでいました。我々は他の4人と比べても遜色ないと、将来性を買っていました。前回の箱根が終わって自覚が出てきたようです」(仲村コーチ)
 坂井の成長により、晴れて3年生クインテットと呼ばれるようになった。そのことは、順大のV奪回への態勢が完全に整ったことを意味していた。
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 東の横綱が順大なら、西の横綱は駒大だ。順大が3年生クインテットなら、駒大は2年生トリオが注目されている。エースの3年生神屋伸行は「個性的でエース区間も任せられる選手たち。カギを握るのは2年生」とはっきり言うほどだ。
 2年前、「初めて本気で優勝を狙った」(大八木弘明コーチ)駒大だったが、順大の予想以上の快走に9区で逆転を許した。その翌年、つまり前回は大胆にも1年生を往路の1、3、5区に起用したのだ。
「藤田敦史(現富士通。12月3日にマラソン日本最高を更新)、佐藤裕之(現NEC)のエース2人が抜けて、それをカバーするには1年生しか方法がなかったんです。どう彼らの力を引き上げるか、必死でした。前の年の順大のように、夏を過ぎて少しずつ見通しが立ってきましたが、賭けに出た部分もありました」(大八木コーチ)
「メンバーがわかったとき、自分たちが走っていいのか疑問がありました」と言うのは往路のアンカー、山登りの5区を走った松下龍治である。
 1区では島村清孝が、順大の岩水と同タイムの区間3位。3区では布施知進が、坂井を終盤で突き放した。順大の4区野口の快走で逆転されたが、1、3区の1年生2人が順大の2年生に対等以上に渡り合ったことが功を奏した。
 松下にタスキが渡ったとき、トップ順大とは1分半差。大八木コーチは携帯電話で「その位置をキープすればいい」と伝えたが、松下は先行する帝京大、順大を抜き去り、区間賞の走りで追いついて来た東海大を突き放して往路をトップでゴールした。
「山登りは、ある意味プライドを捨てないと走れません。がむしゃらさ、怖いもの知らずの部分がないとできない。だから1年生が活躍できるのかもしれません」(松下)
 ビハインドを覚悟していた往路でトップに立ったことで、復路が一気に楽な展開となった。7区で区間賞と好走した揖斐祐治は次のように言う。
「追う側がハイペースで入れば50秒くらいまでは追いつけますが、1分半から2分差だと相手が見えないからきついですね」
 順大は8区奥田が区間賞の快走を見せて1分20秒差に迫ったが、9区の入船が5`を14分06秒、10`を29分10秒と予定以上のハイペースで入り、後半失速してしまった。一方の駒大・西田隆維(現エスビー食品)は予定通りのペース配分で、前年高橋が出した区間記録を更新し、優勝を決定づけたのだった。
 奇しくも前年の順大と同様に、計算以上の走りを見せた駒大1年生が優勝の行方を左右した。今回、松下たちの学年にしてみれば、順大の轍は踏みたくないはずだ。
「現在の力が10とするなら昨年は6か7くらい。この1年で、きつかった練習も徐々に楽にこなせるようになってきました。元々、順大にかなわないとは思っていません」
 1区を走った島村が故障で出場のめどが立っていないが、3区で順大の坂井を引き離した布施に加え、松村拓季が日本学生個人選手権5000mに優勝するなど力をつけ、2年生トリオの一角を占める。
「11月の全日本大学駅伝では松村のところで(坂井に)抜かれて2位でしたが、レース前は3位かなと思っていたくらい。松村のブレーキがなければ行けたわけで、その分、箱根は狙えると感じています」
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 2連覇を期待する周囲に対して、大八木コーチは混戦を予想する。
「往路は順大より前に行けないと思います。2分以内におさめていれば上出来。その差なら“追う者の強み”が生きてくる。逆に3分差があると逃げる方の“勝ちパターン”です。8人までの力は向こうの方が上でしょうが、10人だったらどうなるか、ですね。今回も力の差の接近した戦国駅伝になりそうですから、ミスをしたら負けです」
 一方の順大だが、箱根駅伝のファン、関係者の間には“復路の順大”というイメージが定着している。そんな評判を「堅実に走れる選手を復路に起用していますが、我々としては復路重視というほどの考えではありません。往路で遅れたらどうしようもありませんから」と、仲村コーチは否定する。
「前回は復路が後手後手に回ってしまいました。どの区間も前半で追いかけて後半で離されることの繰り返し。結果的に復路の選手の力を引き出せなかった。今回は復路の選手がいかに力を出し切るかがポイントになります」
 復路で前回のような失敗をしないためにも、前半で好位置につけたい順大。だが、3年生クインテットをはじめ順大の選手は、仮に前回のようなハイペースで前半を入っても、後半も持ちこたえる力をこの1年間で付けてきた。対する駒大は、復路勝負に活路を見出そうとしている。2年生トリオは、優勝時よりパワーアップしている。
 エースの快走がチームに決定的な勢いをつけることもあれば、つなぎの区間での積み重ねがものをいうときもある。
「神屋、松下、それに揖斐」
 エースといえるのは誰かと問われて、大八木コーチはこう答えた。
「松下は1、5、9区のどこかでしょう。9区に使えればうちは強い」
 その松下が言う。
「今回は区間賞も狙える」
 順大の坂井は言う。
「最強の“つなぎ”になりたい」
 勝利の美酒に浸るのは順大の3年生クインテットか、それとも駒大の2年生トリオか。答えが出るのは新春、1月3日午後1時半。