スポーツ・ヤァ! 008号
高速への挑戦
藤田敦史、2時間6分51秒

取材:2000年10月〜12月3日
 藤田敦史(富士通)は小学生の頃によく、「真面目で几帳面だけど、協調性がない」と通知表に書かれていたらしい。本人がそう言うのだから、書かれていたのは事実だろう。では、本当の性格が、そうだったのかというと証明しようがない。
 だが、藤田が有言実行タイプの選手であることは疑い得ない。目標をはっきり口に出し、自らを鼓舞しているように見える。福岡のレース前もそうだった。
「最低でも2時間10分を切って日本人トップ。最高なら2時間8分台で優勝争い」
 過去、日本選手の2時間6〜7分台は全て海外で出ている。国内レースでの最高は99年東京で三木弘(旭化成)がマークした2時間08分05秒。さらに、福岡、東京、びわ湖の3大マラソンで日本選手が勝ったのは、98年びわ湖の小島宗幸(旭化成)が最後。「8分台で優勝」は、軽々しく口にできる目標ではないのだ。
「30`まではウォーミングアップ。31`過ぎの折り返し地点からが勝負。最後のスプリント勝負は避けたいので、早め早めに逃げることを考えています」
 藤田が特に警戒していたのは、シドニー五輪金メダリストのG・アベラ(エチオピア)よりも、その五輪で転倒して不本意な成績だった李鳳柱(韓国)。藤田自身、五輪選考会をケガで欠場を余儀なくされ、福岡を「リベンジの場」と位置づけていた。「シドニー五輪に出られなかった悔しさがあるからこそ、ここまで練習を積むことができた」。李の気持ちがよくわかったし、自分とタイプが似ているから走りにくい。
 レース展開やマークする選手を隠さなかったのも、マラソンが“スタートラインに付いた時点で勝敗の9割が決している”と言われる競技だからだろうか。
 レースは藤田の予定通りに展開していた。5`15分前後で25`までをペースメーカーが先導した。藤田は集団の前方に位置し、走りにも表情にも余裕がある。28`の給水で藤田以外の全員が、ドリンクを取りに道路の左側に寄った。
「スパートには早かったんですが、李選手が遅れ気味だったので、チャンスと思った」
 このあたりから藤田がレースの主導権を握る。31`からはアベラとのマッチレースに持ち込んだ。その時点では、「トラックまで引っ張って、最後に負けるんじゃないか」と不安を感じていた。何度か前に出るよう合図をしたが、アベラは出ない。当初の予定通り、自分から揺さぶりをかけた。
 そして36`手前。アベラがちょっと下がった動きを藤田は見逃さなかった。
「仕掛けるときは、戦意をくじく意味もあって、一気に行こうと思っていました」
 勝負だけを考えていた藤田だが、結果的にこのスパートが2時間06分51秒の日本最高記録を誕生させた。かつて、日本選手がレース後半で5`14分台のラップを刻めたのは、前半がスローペースで進んだレースだけ。それを覆したのが99年ベルリンで日本最高(2時間06分57秒)をマークした犬伏孝行(大塚製薬)であり、今回の藤田だ。
 藤田が「勝ちにこだわった」のには理由がある。瀬古利彦(エスビー食品)、中山竹通(ダイエー)、谷口浩美(旭化成)、森下広一(旭化成)といったランナーは、国内のレースで勝って、そのあとに国際大会で結果を残した。オリンピックの不振は、最近の日本選手が国内のレースでさえ勝てなかったからではないか。
 藤田は学生時代から指導を受ける大八木弘明・駒大コーチとともに、勝つための戦術を練った。
「ラスト10kmが勝負。コースを下見して、どんな風向きになるか、アップダウンはどうか、ある程度体で覚えることが必要」
 大八木コーチは、こう言って愛弟子を福岡に送り出した。それ以前に、後半の勝負所を想定した練習も怠りなかった。
「練習でも、最後の5`は必ず14分台に上げて走り終える。最後をしっかり走りきるイメージを持たせるためです」
 レースは師弟の思い描いた通りに展開したわけだが、記録だけは、「6分台はイメージできなかった」と藤田が言うようなうれしい誤算だった。
 このように、藤田は富士通の所属だが、主に駒大の大八木コーチに、練習メニューの相談をしたり、アドバイスをもらったりしている。
 1年前、駒大が箱根駅伝で初優勝を飾り、OBの藤田と駒大の現役選手が雑誌で対談したことがあった。藤田は入社1年目。初マラソン(駒大卒業直前のびわ湖で20年ぶりに学生最高)に続き世界選手権でも6位入賞と、好結果を残していた。その対談で藤田が強調したのが「駒大の練習を継続してやれば、実業団でも伸びる」という点。富士通の監督やスタッフがどう思うかを考えたら、なかなか言えるセリフではない。
 それには以下のような事情がある。富士通の木内敏夫監督は、ポイント練習をこうしようと選手側に提案はするが、選手の自主性を重視し、練習メニューも選手側から提出させている。そのくらいできないようでは、強くなれない。その指導法で前回、元旦の全日本実業団駅伝で初優勝を果たしている。その木内監督が、次のようなエピソードを披露した。
「合宿中に雨が降り『今日の練習はやめようか』と言うと、ほとんどの選手が喜んでゴロッとするが、藤田だけは『もう着替えましたから』と走りに行ってしまう。我々スタッフができることは、お茶を入れることと、練習させ過ぎないようにすること」
 日本の教育には、他人と同じことを是とする傾向があるとは、よく指摘される。だが、人と競って勝ち負けをつけるのがスポーツだ。人と違うことをしたり、人よりたくさんのことをやる意気込みは、あって当然だろう。
「性格は負けず嫌いですね。“アイツに勝つにはこの練習をこなさなくては勝てない”と頑張って、少しずつ“アイツ”のレベルを上げてきました」と、藤田は自己分析をする。ブランドものの服を買いに渋谷や原宿に行く。好きなタレントの出るドラマやバラエティー番組も見る。だが、「走ることにマイナスとなることは、いっさいしない」と言い切る。
 シドニー五輪男子マラソン代表は3人中、犬伏を除く2人が旭化成の選手だった。近年、国内のマラソンの大半で旭化成勢が日本人トップを占めているのが現状だ。
「“マラソン、イコール旭化成”という雰囲気がありますが、それは違うぞって言えるようになりたい」。福岡の前に藤田がこう言ったのは、彼の性格からして当然のことだった。その藤田が世界歴代11位、今季世界2位のタイムを持って、来年8月の世界選手権エドモントン大会に乗り込む。
 福岡のレース後、陸連強化特別委員会副委員長である旭化成の宗茂監督は言った。
「藤田ほど精神的な素質を持っている選手はいない。勝負すべきところで勝負に勝ち、記録を狙うべきところでスパートできた。この走りができれば世界でも通用する」