2002/2/3
別大で引退の佐保希データ
マラソン成績(判明分)
年 月 日 |
記 録 |
成績 |
大会 |
年齢 |
1995. 3.19 |
2.12.14. |
6 |
びわ湖 |
22 |
1996. 2.12 |
2.14.16. |
13 |
東京 |
22 |
1997.12. 7 |
2.08.47. |
3 |
福岡 |
24 |
1998. 4.19 |
2.09.23. |
1 |
ロッテルダム |
25 |
1998. 9. 6 |
2.20.31. |
8 |
シドニー |
25 |
1998.12. 6 |
2.13.48. |
14 |
福岡 |
25 |
1万mの年次ベスト
年 |
1万m記録 |
1998 |
28.22.79 |
1997 |
28.28.28 |
1996 |
28.54.62 |
1995 |
28.55.69 |
1994 |
28.17.32 |
1993 |
27.58.47 |
1992 |
29.14.9 |
1991 |
29.49.6 |
佐保希といえば、とにかく93年の活躍が鮮烈な印象としてある。
大分・鶴崎工高から入社2年目元旦のニューイヤー駅伝1区で、あのニジガマと競り合って区間賞を獲得すると、4月には1万mで27分58秒47(熊本の中長距離選抜)、27分59秒28(兵庫リレーカーニバル)と27分台を連発。ロードシーズンの活躍から、28分台の力は明らかにあったが、トラックでは92年まで29分14秒9が最高だったため、28分台を飛び越えて27分台に突入した。6月の日本選手権でもきっちり上位に入って同年8月の世界選手権シュツットガルト大会に出場。
当時からマラソンの次代を担う選手になるのでは、と言われていたし、そのスピードから森下広一の後継者になれる選手とも言われていた。初マラソンは2時間12分台。その2年半後に2時間8分47秒とサブナインを達成。次のロッテルダムも2時間9分台をキープしたが、その後は低迷。聞けば、ずっと故障がちだったという。
とにかく、93年にドドドーっとのし上がってきた時の勢いが強烈だっただけに、2時間8分台を出したときも「やっと」という印象だった。我々メディアを含め、「佐保は日本を代表する選手になる」と、当たり前のように思っていたのである。周囲の期待が高すぎた選手の典型なのかもしれない。
一度、長期的な休養をとる方法などは、ないものだろうか。