2001/10/15 国体2日目
吉田孝久の引退会見
『練習であともう1セット、あと300m1本ができない。この辺でいいか、って思ってしまうんです』


Q.いつ頃、どういう経緯で引退を決意?
吉田 決めたのは日本選手権が終わってからでした。日本選手権では、三段跳で世界選手権にチャレンジしようと思っていたんです。ハイジャンも出ましたが、ハイジャンは後輩たちの中でB標準を跳んで優勝する奴が行けばいいと。日本選手権のハイジャンは、オリンピック代表として出たのですが、本心は三段跳で世界選手権を狙ってみようと思っていました。その三段跳で結果がでず、“じゃあ、もういいだろう”という気持ちになってきました。
Q.走高跳は練習でもうやることがないけど、三段跳ではやることがたくさんあると、苅部俊二選手との雑誌の対談で話していましたが?
吉田 やれることはいっぱいあると思うし、今年1年間勉強して、素人の域を脱したいと思っていました。勉強して、村木(征人・筑波大跳躍コーチ)先生からいいところを吸収したいと。体力さえ落ちなければ、17mいく自信もありました。
 ところが、練習でだんだん自分を追い込むことができなくなってしまったんです。前の年と比べても、もう一歩踏み込めない。あともう1セット、あと300m1本ができない。この辺でいいか、って思ってしまうんです。体力的に、練習をこなせなくなったんです。気持ち的に切れたわけではありません。もしかしたら、(同学年の)伊東(浩司)や苅部、北田(敏恵)が出てこないのに影響されたのかもしれませんが…。

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吉田孝久(よしだ・たかひさ)
 1970年2月17日生まれ。180cm、67s。神奈川県上郷高→筑波大→ミズノ。
 87年の札幌インターハイに2m20で優勝。88年に筑波大進学。同年の世界ジュニア13位。89年に2m25のジュニア日本新、90年に2m28の学生タイ。93年には2m31と9年ぶりの日本新。
 アジア大会は90年北京、94年広島、98年バンコクと3回連続代表で、広島大会で金メダル。
 世界選手権は大学4年時の91年東京大会と93年のシュツットガルト大会に出場したが、オリンピックは92年バルセロナ、96年アトランタとあと一歩のところで代表を逃す。30歳となった昨年、シドニー五輪に悲願の出場を果たした。
 日本選手権には89、92、94、97、99、2000年と6回優勝。