2001/5/24 東アジア大会
柿沼和恵、400 mで日本人初の52秒台!! 52秒95
自身9年ぶりの日本新。しかし、
「苦しかったのは、ほんの一瞬だったような気がします」
「苦しかったのはほんの一瞬だったような気がします。前向きに次のこと、次のことと考えてきましたから」
柿沼和恵(ミズノ)が400 mで53秒45の日本新をマークしたのは9年前の92年、埼玉栄高3年時のことだった。その年、200 mでも23秒85と日本人として初めて24秒の壁を破ると、23秒82まで記録を短縮した。
200 mはその記録は現在、歴代6位。400 mは昨年、53秒42と0.03秒自己記録を更新したが、日本記録は97年に柴田こずえが53秒21と塗り替えていた。
9年の間、柿沼は何度か状態がよくなり、記録更新のチャンスはあった。だが、その度に故障に見舞われ、いい流れが中断していた。普通で考えれば、いろいろと苦しんだであろうと想像できた。ましてやミズノの他の選手は、オリンピック代表や日本記録保持者ばかりだ。「何が一番、苦しかったか」との質問が出たのも当然だろう。
それに対する柿沼の答えが、冒頭のものだった。
「(日本記録が自身)9年ぶりというのは、深くは考えていませんでした。(9年前は)その時の日本記録だった、というだけです。(日本記録がどうというより)自分との戦いでした。(記録が出ないのは)ケガをして練習ができませんでしたから、当然でした。今から思えば、苦しかったのはほんの一瞬だったような気がします。前向きに次のこと、次のことと考えてきましたから」
柿沼の置かれてきた状況を普通に考えれば、苦しくないわけがない。だが、それを苦しいと思ってしまっては前に進めないと、彼女が考えれば、それは苦しいことではなくなる。第三者が決めることではなく、本人が決めることなのだ。
今日も柿沼自身の意識、目標は日本記録ではなく、世界選手権B標準の52秒70だったという。
「今日はB標準を第一の目標に臨みました。B標準を出せば、日本記録も出るわけですし。B標準が出せずそれが一番悔しいのですが、まずは52秒台が出せたことで、今日は満足しています」
故障が多かったとはいえ、昨年は練習も積め、53秒台を4試合で出すなど、記録更新のチャンスはあった。昨年9月のスーパー陸上では前述のように、53秒42と0.03秒自己記録を更新できた。このとき柿沼は、「自己記録を更新できないかもしれないと思えた時期もあった」と、8年ぶりの自己新に涙を流した。今日の「自身との戦いだった」という言葉から、そのときのことを思い出した。
昨年、いつでも出せそうだった日本記録が、今日やっと出せた。その理由を柿沼は、次のように説明した。
「体力的なことや筋力的なこと、練習量などを考えれば、毎年レベルアップしていると思います。これまでレースでは常に私が1番でしたし、あるいは、強い外国選手が来れば力の差がありすぎました。今日みたいに同じレベルの選手と戦って、最後で競り合えたことが記録につながったのだと思います。コンディション、レース展開など全てが今日はそろっていました」
長かったトンネルを抜けた柿沼だが、9年間に培ってきた土台を100 %生かし切っているとは、思えない。今日の52秒95を契機に、一気に記録を短縮してくる可能性もある。